言葉に魂が宿るとき

言葉に魂が宿るとき

今日はこのコマを語ります。
……つまりどういうことですか?

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(元ネタはこち亀です)

最近、仕事で悩むことがあって上司に相談しました。
たまたま部署異動があるタイミングだったので、
上司がどう考えているかも聞きたかったのです。

そこで酒好きの私たちは近くの居酒屋で。
ふたりともそういうところの感性は昭和です。

さて、そこで私は色々と仕事への思いを語りました。
自分はこういうことをやりたい。
でも、こういうことがあってなかなかうまくいかない。
どうしたらうまくいくようになるのか。
今の部署にいてやりたいことが実現するのか。

そんな感じのことを10分くらい。
……10分って大したことないなって思いますか?
アニメのキャラクターが10分間、
ずーっと止まらずに喋っていることを想像しましょう。
相当な長さになることがおわかりになるかと思います。

しかし、それだけ言葉を連ねても、
どうも上司はピンとこないらしい。首を傾げっぱなし。
挙げ句、言われてしまいました。

「言葉が軽いんだよなあ」

……超ショックでした。
10分間話しているんですよ?
自分なりに悩んでいるんですよ?
そのヒントをほしいから相談したのにその一言ですか!?
内心憤慨してしまい、私はもう仕事の話をするのはやめました。

それから普通にプライベートな雑談になりました。
職場の愚痴だったり、家族のことだったり、趣味のことだったり。
そのとき、上司から不意に「就活ってどこ受けたの?」と聞かれたんですよ。

それなりにお酒呑んでいて酔っ払っていたせいでしょうか。
私はこう答えてしまいました。
「私は、ゲーム作りたかったんですよねえ」
言ったのはこの一言だけです。

いや……まずいでしょ!
確かに、以前うっかり「NINTENDO」の明細が書かれた
レシートを持って行っちゃったことはあったけど!
「仕事にやる気ないんかい!」って突っ込まれるに決まってる!

上司がビールを飲み干すまでの時間が長い。
私もごまかすようにしてほぼからのビールジョッキを傾けました。
そして、ジョッキを下ろした上司が放った一言。

「その言葉、仕事の話よりずっと響くなあ」

……え?

怒られなかったのはよかったです。
よかったのですが、なんだこのモヤモヤは。

仕事人としてというより、こんな感じでブログを書く私として、
大きな疑問を投げかけられたように感じました。
仕事の話は5分しても響かない。
でも、ゲーム作りたかったということはたった一言で響く。

「響く言葉」ってなんだろうか。

この疑問に私はすぐに答えを出せず、
しばらく悶々と悩むことになりました。

それから一ヶ月くらいが経ちました。
私の後輩の営業マンが商品プレゼンをすることになり、
私はその練習に付き合うことになりました。

彼は事前にプレゼンの内容をメモにまとめていて、
それに沿ってきちんと説明をする。
ごくごく当たり前のことなのですが、どうもおかしい。

喋っている内容は決して間違っていません。
説明自体もわかりづらくありません。
でも、どうも言葉が上滑りしているように思えました。

プレゼンに慣れていないせいだろうか。
私はもう少しゆっくり喋るようにアドバイスをし、
その通りやってもらったのですが、まだしっくりこない。

そこである可能性に思い当たりました。
そして私はその商品のよくある質問を彼にぶつけたのです。
すると彼はその質問に答えることができませんでした。
その商品の細かいところを知らなかったのですね。

そりゃ、しっくりこないわけだ……。

と、そう感じたとき、
今までの疑問の答えの一端を見たような気がしたのです。

つまり、何かを語るとき「響く」というのは、
その言葉を口にしている人が、
どれだけそのことについて考えているのか、
その背景が感じられる、ということなのではないだろうか。

そう考えると、上司の言葉にも納得がいきます。

正直に言うと、とても褒められたものではありませんが、
私が仕事について考えるのは大したことじゃありません。
早く終わってほしいとか、この仕事やりたくないとか、
面倒くさい仕事は人に振ってしまいたいとか。

でも、私がやりたいと言っていたゲーム作りはそうではありません。
今の仕事よりも苦労してでもやりたいと思うくらいです。

最初は単純にゲームをプレイすることが好きでした。
でも、あるときにゲームを作るという行為の面白さを知りました。

たとえば『スーパーマリオ』の1-1のステージ構成が、
プレイヤーを学習させるように意図的に配置されていること。
『星のカービィ』が空を飛べるのは、
難しすぎるアクションゲームへのアンチテーゼであったこと。

そして、任天堂の「社長が訊く」のページを読みふけったり、
桜井さんのコラム連載本を購入したり、
ゲームクリエイターの記事を読み漁った時期もありました。
そうしているうちにゲームを作ることの憧れが募っていました。
そして、就活でゲーム会社に応募したこともあります。
残念ながら最終選考で落ちてしまったのですが……。
今でもその憧れはまだ捨てていません。

私は「ゲームを作りたかった」という一言しか口にしませんでした。
でも、今までの私が思ってきた背景や思いが、
その言葉からにじみ出ていたのかもしれません。
だから、上司が「響く」と言ったのだろうと思っています。
これは創作の世界でも通じると思います。
あるキャラクターを「好き」だというときとか。

たとえば、私は東方プロジェクトの蓮子とメリーが好きです。
元々はウェブの二次創作漫画を読んで「好き」になりました。
このときの「好き」はもちろん嘘ではありません。
頭が良くてなんか小難しいことを喋っている二人はかっこよかった。

それをきっかけにして本家CDを購入し、
ブックレットの二人のやり取りも読みました。
東方創想話や同人誌で色々な作品も読みました。
さらにこじらせて私自身が十以上のSSを書くことにもなり、
同人誌まで数冊参加したり作ったりしてしまいました。

そんな経験を通して、やっぱり今も蓮子とメリーが好きです。
でも、知った当初の「好き」と今の好きとでは、
同じ言葉でありながら重み、というか意味合いはまったく違うと思います。

私自身が蓮子とメリーの二人の話を書くとき、
色々なこと、可能性を考えました。
蓮子とメリーには彼氏がいるのか、いないのか。
天才な二人は飛び級なのか、意外と普通に進学したのか。
生きるのか死ぬのか。(蓮子は度々死にました)
あるときには犯罪者となり、
またあるときには半サイボーグにしたこともあります。

そういう色々な可能性を考える中で、
今の自分の中には蓮子とメリーの軸みたいなものができています。
例えば私の中で蓮子は「にやりと笑う」し、
メリーは「澄んだ蒼い瞳」を持つのが基本スタイルです。
あと、私の中のメリーは金色でふわっとした髪質です。

一方で、そういう軸を中心にしながらも、
あえてそこから外れて別の可能性を探ることもあります。
さっきの半サイボーグ化は、その可能性を考えた結果の一つです。

だから、今「蓮子とメリーが好きなの?」と言われると、
「すでにSS作品でたくさん語っているから、
とりあえずそれ読んでこい」って言いたい。
でも、いきなりそれを押し付けるのはあまりにハードルが高いので、
私は蓮子とメリーが「好き」という一言で済ませています。

それが私の中で考える、同じ言葉での重さの違いです。
ここで、初めて最初のコマの内容に戻ってきました。

あれはまさしく私の変化と同じようなことなんだと思います。
彼らは当然のようにキャラクターデータを把握しているでしょう。
それに加えて、そのキャラクターの過去、現在、未来、
あらゆる可能性を考え抜き、共に苦しみ(?)、
そして、己の中に確立したキャラ像を持っている。

それが彼らの背中からにじみ出ているんです。
そして同じように考え抜いた人たちにはそれが感じられる。
だから「アオ、いいよね」のひとことで伝わるんです。

その言葉には魂が宿っていると私には感じられるのです。

「言葉に重みがある」というのは、
それこそ生き方に通じると思います。
何かを「好き」ということはいいことなんです。
その気持ちはいつだって真実。

それが本当に好きだと言いたいのなら、
きっと好きなことをもっと深く知りたいと思ったり、
実際に体験をしたり、人と話し合ったり、
そういう行動が積み重なっていくと思います。
そうした積み重ねが「好き」という言葉を強くする。
その響きは他の人にまで届くことがあるかもしれません。
上司にダメ出しされてショックだったのですが、
最近、こんなことを思うようになりました。
ありがとう、上司。私にこんな気づきをくれて。

じゃあ、好きじゃない仕事はやらなくていいかな?
(だめです)

bantenmaru