『それでも私は夢を見る』 ~裏話(3)

『それでも私は夢を見る』 ~裏話(3)

前回の続きです。

この物語でとても苦労した点がもう一つあります。
それはこの物語の文体です。
先にも書いた通りで、この物語を書くきっかけは私が小学生の時のテストです。
だから、この物語は当時の気持ちに則って、
小学生が書いたという体での文体にしようと当初は考えていました。

けれど、書き始めてすぐに大きな違和感を覚えました。
なぜなら、私はもう大人だから。
私は多くの単語を知り、多くの表現を知りました。
もちろん、小学生の常用漢字や表現しか使わないと制限することもできます。

けれど、世界の見方ということは
どんなに頑張っても小学生当時と同じわけにはいきません。
私は日記をつけない小学生でしたが、
仮に日記をつけていて自分の思考を読み直したとしても、
「大人の私が小学生の自分を再構築する」というでしかありません。
なぜなら、小学生の自分の思考を取捨選択するのは、
大人の私の価値観なのだから。

私はときどき思うのですが、
子供は思ったよりも子供ではありません。

この物語にも出てきますが、
私は『星の王子さま』を小学校五年生で読んだことがあります。
そして、そこに書かれたことを私は自分自身でかなり理解していると思っていました。
大人は数字が大好きだ、意味のわからないことをして自分で喜んでいる、自尊心が高い。
それは大人にはよくあることなんだ、そんな大人にはなりたくない。
そんなふうに私は思っていたのです。

大人になっても度々読み返します。
その度、小学生の時には気づけなかったことも多く出てきます。
そして、なりたくなかった大人に自分がなっていることに、
少なからずショックを受けることもあります。
小学生のときには、体で実感しようがなかったことです。

でも、小学校の私が抱いた気持ちは大きな本質を掴んでいるのだと思います。
それを当時はうまく表現できなくても、
今の私が感じていることと、その形は同じなのでしょう。

だから、子供に対して「子供だから」という理由だけで、
描きたいことを諦めてでも表現のレベルを優しくするのは、
子供に対しても失礼だなと思います。

だから、できる限り子どもの表現力に似せてはいるものの、
本当に大事なところについては
小学生が書かないような表現でもいいと割り切りました。
言葉の意味はそのときはわからなくても、
言いたいことの端っこはどこかで掴んでくれる。
そうやって小学生の私を信じながら、
今のスタイルと折り合いをつけてこの物語を書いていきました。

だから、風景描写が冗長です。
小学生が感じないようなことが書かれています。
それは意図したものです。
表現は本当の現実の小学生とは乖離をしていても、
そこに描いたもののかたちを書くことを私は優先しました。

ぱっと見たらおかしいと思う人が出るのも理解できます。
それはその人の価値観であり、その感覚も大事にしたい。
でも、私の価値観と信念もまた、同じくらい大事にしたいのです。

最後に、このオリジナルの話を書いて思ったことを少しだけ語って終りにします。

二次創作と違い、今回の登場人物は借り物ではないので、
登場人物の構築に時間かかり、苦労するのかと思っていました。
けれど、いざ書いてみると思った以上に難しくなかったな、
というより、いつもやっている二次創作と
大して変わらないなあ、なんてこと思いました。

二次創作においても、私は原作のキャラクターを分解して
核となる部分を見つけ出し、その上で再度キャラクターを
再構築するということをしていました。

それは結局、私自身の中にある価値観を分解して
再構築していることと同じなのです。
私が考えている事、私の性格、私の癖。
そういったものをキャラクターに反映させるにすぎない。

だから、今回の物語の登場人物構築でも
そういう意味ではあまり二次創作と変わりませんでした。
二次創作と違ってつらいところは
個人の名前で読まれるかどうかが決まる、ということです。

オリジナルに対して私が今まで感じていた壁は
結局、私が勝手に作り上げた幻想の壁だったんだな、と
書き終わってから、あらためて気付かされました。

もう次からはそんな壁はありません。
だから、私はこれからもオリジナルを書いていくと思います。
オリジナルの話で喜んでくれる人がいるなら、
多分一人の読者がいれば書き続けると思います。

むしろ、読者がいなくても書くことを続けるでしょう。
なぜなら、私にとって書くこととは
私自身の心の中を探求するのと同じだからです。

次の物語がいつできるかは、わかりません。
でも、書きたい話は常にどこかにあるので、
そのうちにまたお見せできる機会はあります。

よろしければまたお付き合いください。

bantenmaru