ゲーム感想

ゲーム感想「Portal」~私が立方体に恋をするまで

今回はゲーム「Portal」の感想です。いや、感想ではなく、ある「キャラクター」への恋文です。

キャラクターというか、立方体なんですけども。

「うわ、キモ……」と思った方、帰らないで! この記事を読めば、きっと「この立方体、好き……」とはなるはずです!

「Portal」ってどんなゲーム?

まず「Portal」ってどんなゲーム?と思った方には、この動画の視聴をお勧めします。

音声は英語ですが、映像がわかりやすいです。

端的に言えば、どこでもドアのような通路を自ら作り出し、謎の施設から脱出するゲームです。

コンセプト自体も非常にユニークで、映像を見ているだけでも楽しいです。そして、実際にやってみるとさらに愉快な感覚が味わえます。

例えば、天井に一方の穴を開けて、その真下の床にもう片方の穴を開けると、あら不思議! 永遠に穴に落ち続けることができて、すごいスピードになります!

ストーリーテリングが立方体に命を吹き込む

でも、私がこのゲームで何よりも驚いたのは、このゲームのストーリーテリングでした。というか、キャラクターに命を吹き込む瞬間を目の当たりにしました。

私はそのキャラクターに深い思い入れがあり、このキャラクターとの出会いに心を許し、その別れにはとても心が痛みました。

ずっと一緒にいたいと思っていた……。

そんな思い入れの深いキャラクターが、冒頭に書いた「これ」です。

「コンパニオンキューブ」です。

四角い物体です。喋れません。動けません。変形しません。ただの立方体です。

これが私の最愛のキャr……ほら、ブラウザバックしない! きちんとメカニズムを説明します。

あらためて説明しますと、このゲームの仕掛けのひとつで、扉を開けるためにボタンの上にキューブを置くものがあります。その仕掛けは何度か登場し、キューブも何度も出てきます。

このコンパニオンキューブもそのひとつであり、他のキューブとの違いといえば、ハートマークだけ。それ以外は何の違いもありません。

ところが、このゲームをプレイしていると、主人公のガイド役が唐突にこのキューブについて「これはコンパニオンキューブです」と説明をします。

コンパニオンとは「連れ」という意味合いもあり、そう言われた途端に、なんとなくこのキューブに親近感が生まれます。

そして、道中の危険な仕掛けを乗り越えるため、このコンパニオンキューブが主人公の盾となる場面があります。文字通り主人公が手に持って盾として使うだけで、キューブは変形もしません。それでも「一緒にいて安心だ」という気持ちが湧いてきます。

さらに進んでいくと、道中に怪しげな一角が見つかります。そこに少し寄り道すると、そこには壁にこのコンパニオンキューブを愛したひと?たちの落書きが……。

「もしかして、このキューブにも人格があるのか?」

とうとう、私はそんな気持ちを抱いてしまいました。

そして、さらに進んでいくと、どうにもできない扉が現れます。ポータルを生み出す銃を使ってもクリアできない障害です。

しかし、そこで唐突に焼却炉が現れ、ガイドから告げられます。

「コンパニオンキューブを焼却しなければ先に進めない」

でも、ちょっと待ってほしい、と私は思いました。これだけ一緒に連れ添ってきて焼却しろだって? そんな私の気持ちを汲み取るようにガイドが続けます。

「焼却する以外の手段はありません」

「コンパニオンキューブは何も喋りはしませんよ」

「もしも、コンパニオンキューブに人格があるなら、きっとあなたに先に進んでほしいと言うでしょう」

私はためらいました。本当にためらいました。そう言われるからこそ、余計に信じたかった。

コンパニオンキューブが、実は喋ってくれるのではないかと。彼女?を焼却しないでも先に進める手段があるのではないか、と。

でも、小一時間周辺を探してもそんな都合のいいことはありませんでした。どうしてもコンパニオンキューブを焼却しなければいけませんでした。

そして、私は泣く泣く彼女?を焼却炉に投げ入れました。先に進む扉を開いたのです。

でも、私の中にはとても生々しい感情が生まれていました。

先へ進むことよりも、彼女?コンパニオンキューブへの謝罪の気持ち、こんなつらい思いをさせたガイドへの怒り。それらが上回っていました。

こんなことをやらせるやつらに仕返ししたい。

『DokiDoki Literature Club』のときもそうでしたが、どうも私は、ゲームでも私の心を傷つける存在に対して、許せないという怒りを感じるようです。まあ、それはどうでもいいとして。

大事なポイントは、コンパニオンキューブ自身はプレイヤーの私に対し、喋りもしないしアクションもしない。それなのに、私が愛しく思っているというギャップです。なぜそんなことが起きるか?

それは、まわりから物語を与えられ、私自身が彼女?との物語を作ったからです。

ガイドが「コンパニオンキューブは喋らない」と伝えることが、逆説的に彼女?が喋る可能性をプレイヤーの心に生み出します。

ガイドが黙っていれば、そんなことを考えることもありませんでした。それなのに、わざわざそんなことを口にするから、その可能性に思いを馳せてしまうのです。

壁の落書きは、その可能性をもっと大きく見せてくれます。彼女?がアイドル的存在だと崇める人?がいるから、本当にアイドルなのかもしれない、という錯覚を起こす。

結果、プレイヤーが彼女?に感情を抱くようになり、そして本当にコンパニオンキューブに命を吹き込むのです。

すごく特殊だと思いますか? けれど、これはフィクション以外でも普通にあることではないでしょうか? みなさんの身の回りでもあるかもしれません。

例えば旅行のお土産。例えばぬいぐるみ。例えば長く使っているペンだったり道具。それ自体は他の人には単なるモノにしか見えないでしょう。

しかし、なぜあなたがそれを大事にするかというと、あなたがそれに思い入れがあるからです。そして、なぜそれに思い入れがあるかというと、あなたがそのものに思いを抱いたからです。

つまり、あなた自身がそのものに物語を与えているのです。

その物語を与えるきっかけはあなたの周囲かもしれません。誰かにプレゼントされたもの、旅行に行ったお土産etc。

しかし、そのものを見てあなたが思い出にひたるのは、あなた自らが行っていることではありませんか?

どうして私がこのゲームのガイドに共感できず、あるいはDDLCでMonikaに共感できず、そのくせこのキューブに思い入れがあるか。

それは、私自身が彼らに対してアクションしたかどうかの違いだと思っています。

このゲームの制作者たちはそのことをよく理解していると思います。だからこそ、コンパニオンキューブをわざわざ運ばせることをさせたはずです。そして、それはゲームという、プレイヤーの動作によって進むものだからこそ、より強く作用したのでしょう。

小説はそれとは違い、ほとんど受け身です。読者との対話はなかなかできるものではない。それでも、何か工夫できることはあるのではないか。このゲームをプレイして、コンパニオンキューブへの恋文がてら、私はこんなことを書いてしまったのです。