日常描写を楽しく書けた、そのきっかけ

日常描写を楽しく書けた、そのきっかけ

久しぶりにお酒飲んで気持ち悪くなってしまいました、蛮天丸です。
今までリアルでは「蛮天丸さん強いですねー!」って言われていたのに、
ちょっと下町のサワーを飲んだら死んでしまった。
まったく、下町は怖いところだ。

まあ、そんなことはどうでもいいですね。
今日は小説での日常生活の描写について思うところを。

先日ちらりと言及しましたが、
映画『リズと青い鳥』の二次創作小説を投稿しました。

「リズと青い鳥(二)」

今回、自分でも結構驚いたのですが、
日常描写を書いていて、とても楽しかったです。

今まで私は日常描写を書くのは好きではありませんでした、正直。
ストーリーが進まないし、なんとなく間を埋めているだけのように思えて、
あんまり重要視していなかったからです。

けれど、同時に私にはあるポリシーがあります。
それは「どんな登場人物にも日常生活がある」というものです。

汚い話でアレですが、アイドルもうんちをする。
やっぱりアレですが、東方プロジェクトの蓮子もセックスをする。
またまたアレですが、希美もお酒を飲みすぎてゲロを吐く。
(これは別の方の作品ですが)

でも、どんなアレだとしてもキャラクターを人間として扱うなら、
そういう生々しい事実があるはずです。それが私のポリシー。
でも、その信念は蛮天丸オリジナルではありません。
宮崎駿からそういうことを学びました。

彼は、映画の中でとても食事のシーンを大事にする人です。
ほとんどの映画で食事のシーンが出てくるのですが、
その食べ物の美味しそうなこと。そしてキャラクターたちの個性の見えること。

特に印象的なのが、天空の城ラピュタの空賊たちの食事シーンです。
肉にがっつくし、早食いだし、静けさの欠片もありません。
対象的にシータはとても丁寧に食べている。
また、彼女が料理をするのもとても落ち着いていて丁寧です。

たかが食事シーンです。ストーリーに直接関係はしない。
でも、彼らの食べ方は非常に彼らのキャラクターとマッチしています。
逆に空賊たちがとてもお行儀よく食べていたらどうでしょう。
それはそれで面白いけど、違和感バリバリです。
そんな小さなシーンで、宮崎駿はキャラクターに「らしさ」を持たせています。

鑑賞者としての私であればそのことを知っていました。
けれど、自分が書く側になったときに、
それをどう表現すればいいのかわかりませんでした。
だから、今まで日常描写は入れつつもその扱いに苦労していました。

でも、なぜだか今回はその描写がとても楽しかった。
あとから読み返しても「あー、いいなー」と自画自賛しています(笑)
その要因を考えて、今はある仮説にたどり着きました。

「日常描写で大事なのは、出来事そのものではなく、
そこに付随する形容詞と副詞なのだ」と。

例えば、朝ごはんを食べるシーン。
大事なのは「このキャラクターは朝ごはんを食べます」ではない。

「何を食べるのか」「どうやって食べるのか」「お箸の持ち方はどうか」
「食べる順番はどうか」「咀嚼する速さはどうか」「会話はするのか」
こういうことをさり気なく描くことだと思っています。

こういう形容詞や副詞の付け方が、
そのキャラクターの「らしさ」を生む。

今回の物語では、私は優子に焼き魚定食を食べさせました。
ファミレスでランチを食べるときにどんなものを食べるか。
ハンバーグランチでももちろんいいです、パスタでもオーケー。
けれど、優子が「らしく」見えるためには、
焼き魚定食がふさわしいだろう。

焼き魚定食を食べるなら、お箸を使います。
なら、優子はお箸をどうやって使って食べるんだろう。
きっと、ただ普通にお箸で自分の口の中に運ぶのではなく、
一度魚の身をほぐして、それから小さくわけて食べるんだろうな。

そんな妄想がさりげなく、あの話の中に入っているのです。

何度も言いますが、これはストーリーの主軸には関係ありません。
あくまで周辺情報に過ぎない。それはわかっています。
けれど、この周辺情報があると世界は「らしく」見える。
そのキャラクターは「らしく」生命を得る。

私はなんだかんだ物語にテーマを入れるのが大好きです。
でも、テーマを伝えたいだけなら、物語よりも良い手法がある。
物語という体裁を取ることは、
単純にその物語世界を気に入ってもらうことも大事だと思っています。
その世界で読者がどのように感じるかは自由です。
それは私たちが強制することではありません。

だからこそ、その物語の「らしさ」はとても大事だと思っています。
ある人は夕焼けの描写が好き、ある人は食事のシーンが好き、
ある人はキャラクターの動きが好き。

いろいろな切り口があっていいはずです。
その切り口から読者はすっと物語世界に入っていく。
その物語世界に浸ってもらえれば、何かしら感じるものは出てくると思っています。

そして、書き手として日常描写を書くことが好きになれば、
もっと物語世界を「らしく」描くことが楽しくなれると思います。
同時にその「らしさ」は自分の経験を反映していることにも気づけるはずです。

動作についてくる形容詞、副詞。
自分の中にストックするには、自分の普通の生活を、
もう一度記憶に刻むように見つめることが大事なのかな、と思っています。

bantenmaru