ひとりごと

「美しい」って何だろうって言われると

先日、とある美術展に行ってきました。
……あっ、ちょうど先週の日曜日で終わってたんだ!

ルドルフ二世という神聖ローマ帝国の皇帝が
世界中から色々なものをコレクションした、
そのコレクション展ということですね。

当然、美しい絵や勇ましい絵もあるのですが、
たまに「なんでこれを集めたんだ?」と思うものもあり。
たとえば、戦場で民間人女性を拉致する兵士の絵とか。
皇帝だから戦争をテーマにした絵を集めることはともかく、
なんで略奪や拉致という、負の側面の絵を……。

「ルドルフ二世の美の価値観がわからん」

そんな疑問があり、もう少し美術についての視点を増やそうと、
タイトルになった本を読んでみました。
すると、意外にも小説と通じる価値観だったのでした。

この本の結論を端的に言うと、
美術は「美しいとは何か」を追究することだといいます。

たとえば、身寄りもなくたった一人で死んだ男性の、
地面に棒が刺さっているだけのお墓の写真。
「寂しい」「虚しい」と思う反面、
シンプルな構図がどこか美しくありませんか?

(作品名が思い出せず、ここに載せられないのが残念……!)

じゃあ、その「何」が美しいんだろう?
「どうして」美しいと思ったのだろう?
意外と自分の感情の奥深くへ飛び込んだことはないかもしれません。

しかし「美しい」という直観の根底を探れば、
やがて自分の中の「美しい」という価値観を深められるのです。
そして、その「美しい」という価値観は、
究極的にはひとりの世界ではないでしょうか。

「芸能」は多くの人に広くウケてこそ価値があれど、
「芸術」は自分の美しいものを深く追い求めるもの。
よく知られているとおり、ゴッホの絵が、
彼の生前にほとんど売れなかったように。

小説もかなり美術に近い面もあるかと思います。
作り手の世界観が否応なく現れるのですから。
誰もが誰も、みんなにウケる話を書く必要はなくて、
自分が思う「美しい」ものを深く書いてもいいと思うのです。

ただ、絵画的な意味での美術と小説には大きな違いがあるとも思います。
それは絵画がある時間を切り取ったものに対し、
小説は時間の流れがある、ということ。
そして、時間の流れがあるということは、
小説には少なからず「変化」がある、ということだとも。

私がお話を組み立てるときには、
ストーリーの最初と最後で、何かしらの変化をつけます。
なぜなら、主題は毎回違えど、
変化することが私の中で「美しい」と感じているからです。

死のうと思っていた人が、いろんな出来事を経て、
やはり生きようと思った。
夢を失っていた人が、夢を再び見るようになる。
そういう違いができることは、どこか美しくありませんか?

どうしてそのように変化したのだろう?
人の心はどうやって移っていくのだろう?
その変化を突き詰めたいから、
あるときは論理的に、あるときは超常的に描く。
それが私の物語を書く動機なのかもしれません。

それが多くの人が「え?」と思うようなことでも、
自分が美しいと思ったら、なぜかをやっぱり求めたい。
ルドルフ二世の「拉致の絵?」も、
彼本人としては「美しい」と感じたものなのでしょう。

みんなの「美しい」ってなんでしょう?