人の失敗を笑ってもいい。ただし。

日本代表のワールドカップが先週で終わってしまいました。
ベルギーに二点先制してから、まさかの三点奪取されて負け。

私はテレビで見ていないのですけれど、
それでもベルギーから二点取れるなんて、と驚いています。
今回で日本なりの戦い方を見つけてくれれば、
四年後に夢を見れるような期待感が私にはあります。

でも、一方で「スポーツは結果がすべて」というのも事実。
プロセスが良くても結局は負け。
某大学のような手段はいけませんが、
勝たないと認められないのが勝負の世界ですので、
<日本代表はまだ甘いと思うところもあります。>

話は変わって、ホリエモンロケットと呼ばれる
某ロケットの打ち上げが失敗してしまいました。
動画で見るとこれがすごい。


最後にはものすごい勢いで落下して大爆発!
漫画の爆発オチそのまんまの映像でした。

やっぱり宇宙は壮大なフロンティア。
日本だって負けずとチャレンジしてほしいと思います。
<でも、あの大爆発は、あんまりな失敗じゃありませんか。>
<色んな人たちの思いやお金がかかっていたプロジェクト、>
<それがあんな粉々になってはいけないでしょう。>

……と、ここまで書いて、
自分の文章に自分でイラっとしています。
斜め文字が自分の本意ではない部分です。
自分の気に入らない表現をするのって、嫌なもんですね。

なら、どうしてこう表現したかというと、
実際にそんなふうに書く人がツイッターにちらほらいたからです。
ネット風に言うなら「ざまあwwwwwww」とか、
「メシウマwwwwwwww」とかそんな感じでしょうか。
それを私なりの言葉で真似してみました。

そして、メシウマしている人たちとは対象的に、
こんな人たちもちらっと見かけました。
「人の挑戦を笑う風潮があるから、日本は終わっているんだよ」
「そんなやつはドリームキラーだ」

大きな出来事が起きると
様々なポジションの人が現れるのがネットの世界。
東に賛同する人あらば西に反対する人あり。
北にアウフヘーベンな人あらば南に無関係な人あり。
本当、様々な人の考えが見えて楽しいです。

私はどれかというと、北側の人間です。
私は「人の失敗を笑うのは楽しい」と思うし、
同時に「人の失敗を笑うのはよくない」とも思います。
それがこの記事のタイトルの意味であり、ここから先が私の本意です。
回りくどいですが、先の両者を書かないと見えないものもあるのです。

先ほど書いたように「人の失敗を笑うのはよくない」と思っています。
普通は笑った相手を傷つけますし、
自分だって失敗を笑われたくありません。
過去、同人誌を作っていることをリアルの友人に打ち明けて、
「ヤバいね」と笑われたのもすごく嫌でした。
(そんな彼はアイマスに大金を突っ込む「廃人」なんですが)

一方で「人の失敗を笑うのは楽しい」と思うこともあります。
先ほどのホリエモンロケットはその典型です。
だって、あんな見事すぎる爆発を見ちゃったら
笑わずにはいられないでしょう?
プロジェクトの意義はもちろん笑うつもりはありませんが、
やっぱりあの映像は面白い。

でも、そんなふうに面白がっている自分に気づいたとき、
ふと不思議に思ったのです。
「なんで矛盾する二つの思いを同時に持っているんだ?」と。
別にそういう思いがあることで苦しいわけでもなく、
ごく自然にそう思ってしまう自分がいるのが謎でした。

これに似た現象がないのかなあ、と思っているときに、
歌丸師匠の訃報を聞いて、ピンと来たのです。

「そうだ、人の失敗を笑っても許される場、
むしろそれが推奨される場があるじゃないか!」と。

それが、お笑いです。

古典落語も人の失敗を笑いに昇華するお話がいくつかあります。
有名なお話でいうと「時そば」。
うまいことやってお金儲けをしたり、お得な思いをした人がいて、
それをおっちょこちょい者が真似てみたけれど、
儲かるどころかむしろ損をする話、多いですよね。

おっちょこちょい者は真剣、ド真面目なんです。
なんとか得をしようと頑張っているんですけれど、
それがことごとく裏目に出てしまって大失敗。
観客はその真面目さとみっともなさのギャップで笑うんです。
見方を変えれば「人の失敗で笑っている」ともいえませんか?

さて、そんなふうに盛り上がっているお笑いの場で、
唐突に誰かが真っ赤な顔で立ち上がり、
ド真面目にこう言ったらどうなるでしょう。

「なんでみんなそんなに笑うんだ。
八兵衛だって本気で儲かると思って真剣にやっているんだ!
そんなふうに挑戦を笑う風潮があるから、日本は終わっているんだよ!」

……むしろ、その人がお笑いです。

そう考えると、お笑いは「失敗を笑うことが許される場」といえます。
なぜ他人の失敗で楽しくなるかまでは正確にわかりませんが、
とにかくそんなメカニズムがあり、それを許容し、
むしろ手法の一つとして昇華させたのがお笑いではないでしょうか。

すると、私の矛盾する思いにも説明がつくと思うのです。
人に失敗を笑われるのが嫌い。
なのに、ホリエモンロケットの失敗動画で笑っちゃったこと。
その思いは同時に存在しているわけではなく、
「場」によって無意識的に使い分けられていたのでしょう。

ホリエモンロケットを動画で見たのは私の家です。
ここなら笑っても誰にも怒られませんし、
プロジェクトに関わった人を傷つけることはありません。
でも、きっとプロジェクトに関わった本人たちに会えば、
笑うことは自分が許さないし、むしろ応援したくなると思うのです。

それに、私も笑いを取るときは昔の失敗談を自ら語ります。
小学生の時に溺れかけたときのこととか、
塾に行くのが嫌すぎて農家のビニールハウスに隠れたときのこととか。
そうやって「失敗を笑える場」を作ることもあるわけです。
このときに笑ってくれないと逆に傷つきます。

ここまで考えると、
「人の失敗を笑うこと」すべてを否定したらもったいないと思うのです。
「人の失敗を見て笑いたくなる」ことはメカニズムとして受けとめる。
そして、まわりの「場」から判断して、
「これは笑っても大丈夫だ」と思ったら思い切り笑う。

その「場」を判断することは簡単で、
「話している人が笑わせようとしていればOK」ということになります。
そうでなければ心の中だけ笑って、顔はド真面目で突き通そうと思います。

それにしても、歌丸師匠の訃報は残念です。
それでも、きっと笑いの天国から自分のネタで笑ってくれる人を
暖かく見守ってくれていると思います。

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