アイマスの劇場版を観て、不意に二年前に途中まで書いていたお話を復活させようと思いました。
幸いなことに、二年前から書きたいことはほとんど変わっていませんでした。
大人になっていく春香の感じがうまく伝われば嬉しいです。

Pixiv

 


「千早ちゃん、テレビ点けて!」
「ええっ!?」
 直後、眉間にがつんとすごい衝撃がして、痛みが全身を走った。
「痛――っい!?」
「わわっ、春香、ごめんなさい!?」
 リモコンが私の額に命中、しかも角っこ。急に膝元から大声がしたから、驚いて落としてしまったのだろう。額に手を当てて涙目になる私を、おろおろとした表情で見つめる千早ちゃん。
「いてて……ううん、急に言う私がいけなかったんだね」
 床に転がったリモコンを拾って、テレビのスイッチを入れる。目的の番組にチャンネルを合わせている間、彼女は何度も「ごめんなさい」を呟いていた。
「大丈夫だって、別に大したことないよ」
 5チャンネルに合わせると、まだCMをやっているところだった。よかった、危うく忘れるところだった。身体を仰向けにして、再び頭を千早ちゃんの膝に載せる。すると、千早ちゃんは申し訳なさそうな顔を私に下ろしていた。なぜか、それが不意に可笑しくなる。
「なんか、変なの」
 ぷっと吹き出すと、今度は千早ちゃんの目が丸くなる。
「なにが?」
「なんとなく?」
「それじゃ、わからないわよ」
 私にもわからないなあ、と言おうと思ったけど、ふと気づいた。千早ちゃんのこんな顔を見るのは久しぶりだなあ、って。こんばんは、真っ直ぐな千早ちゃん。

 私が黙って笑っていると、テレビから歓声が聞こえてきた。
「始まった!」
 画面を見ると、「MUSICナイト」の文字が現れていた。
「今日ね、この番組で私の新曲が発表されるの」
 途端に千早ちゃんの目がテレビに向く。
「そうだったの……知らなかったわ、春香の新曲が出るなんて」
「ふふ、今回のはね、自信があるんだ」
「私としたことが、こんなことも知らないようじゃダメね。同じ765プロにいるのに」
「んーん、実はね、今回のことはプロデューサーさん以外には内緒にしてたの。特に千早ちゃんにはね」
「えっ?」
 千早ちゃんがぽかんと口を開けたまま私を見下ろす。私はにっこりと笑いかけて画面に目を向けたから、千早ちゃんがそのあとどういう顔になったのか知らない。
 それにしても、膝枕でテレビを見るのは、結構首が疲れてしまう。いっそ、床に寝そべって最高にダラダラしながら眺めちゃおうかな、なんて。でも、私はこの場所から離れないよ。
〈今日のゲストは、話題沸騰中の天海春香さんでーす!〉
 画面の中の私が、私とは比べものにならないくらい綺麗なアナウンサーの隣に腰掛ける。本番のときは緊張しておどおどしていたと思ったけれど、いざ画面に映ると案外そうじゃないなあ。ただ、顔は朝起きてすぐ自分の顔を見たときのよう。「だれこのひと?」って感じ。
〈デビューからもう三年になりますが、今やシングルランキングのトップで名前を見ない日がありませんね!〉
〈えへへ、たくさんの人が私の歌を聴いてくれているんだなあって思うと、ちょっとむずむずします〉
 どこかあざとい感じもするしゃべり方も、自分のものじゃないみたい。
「春香は」
 千早ちゃんの声が降ってくる。
「ん、なあに?」
 千早ちゃんはもう私を見ていなかった。画面をじっと見据えながら、私に話しかけてくる。
「そうね……春香は、テレビの中でも私の知る春香のままよね」
「そうかなあ? なんかこのひと、変な顔してない?」
「このひとって?」
「この、天海春香って名前のひと」
〈最近、料理にハマってるんですよ。えっと、この前はロールキャベツを作ったんです!〉
 千早ちゃんがぷっと小さく吹き出して、枕が、千早ちゃんの膝が揺れた。
「なんか私変なこと言った?」
「だって、春香が言うと、本当に変な顔した変な人に見えちゃうんだもの」
「えーっ、そこまでは言ってないんだけど」
 キッチンの方からかすかにロールキャベツの残り香がする。今日、ロールキャベツを二人で作ることを、この番組で言うのに合わせて計画してたってこと、千早ちゃんはきっとわかっていないだろう。ひょっとすると、さっきそれを食べたことすら忘れているのかもしれない。千早ちゃんはそういうところを意識しないから。この部屋と同じように。
 たぶん、私がいつ自分のマグを持ってきたかも知らないだろうし、私がこっそりベランダに置いたサボテンの花のことも知らない。私は千早ちゃんの部屋に来るたびに少しずつ、色々なものを持ってきているんだよ? そのうち、気づいてくれるかなと思いながら。
「でも、春香はがんばってるわ、間違いなく。だから、こんな大きな番組にゲストで呼ばれるんだし。最近の春香の歌、私も大好きなの」
〈オフはだらだらしてるか、友達の家に遊びに行くことが多いかなあ〉
〈あれっ、思ったよりのんびりしてますね〉
〈のんびりしますよー。だってせっかくのお休みじゃないですか、休むなら精一杯休む! ……って、休みなのに頑張ってるみたいですね、あはは〉
「今、だらだらしてる話してるよね? あの人、お休みのとき絶対頑張ってないよ?」
「は、春香は仕事のときはきちんとやってるわよ! 歌だってすごく真剣に取り組んでるし、それ以外でも。私はちゃんと見てるんだから」
「そうかなあ。千早ちゃんがそう言ってくれるんだったら、そうなんだろうね」
「私も頑張ってるけど、今は春香の方が全然……」
 うーん、と小さく唸ってテレビ画面から目を離した。アナウンサーと私の他愛もない会話はもういいや。だってもう私は聞いたことあるし、アイドル天海春香のことは私が誰よりも知っているもんね。
 膝元から視線を上げると千早ちゃんの顔の下半分が丸見えになる。綺麗なラインの顎と頬と、ほら、鼻の穴まで見えちゃうよ? それから、青みがかかった長くて流れるような髪も。

 真剣な度合いで言えば、千早ちゃんの方が断然すごいと思っている。
 ここからだと目は見えないけれど、真剣にテレビを見てるのだろう。天海春香がどういう曲を出すのか、今か今かと期待しているんだと思う。
〈今度の新曲はですね、私がタイトルをつけたんです〉
〈えーっ、天海さんがですか?〉
〈ええ。それから、一部作詞もやらせてもらいました!〉
「春香が?」
「うん、ちょっと、ね」
「思い入れがあるっていうことね。楽しみだわ」
 そうだね、今回の曲はその期待を裏切らないよ。三百円かけてもいい――って、トップアイドルらしくない金額かな?
〈それでは、天海春香さんの新曲はCMのあとで!〉
 アナウンサーのつんとした声の直後に、ミキが出ているCMが流れ出した。バックに千早ちゃんのシングル。ミキがいつにも増して大人っぽくマスカラを塗っている。どうなんだろうね、千早ちゃんはこういうところで自分の曲を使われたいと思うのかな。ううん、思ってないのは、わかってる。けれど、千早ちゃんのことも、今は誰だって注目しているよ。
 トラウマからまっすぐ立ち向かって乗り越えたアイドル。奇跡の歌姫。如月千早。みんな、千早ちゃんのことを尊敬の眼差しで見ている。声が出なくなったことも今となってはいい思い出になっているくらいだもの。
 もちろん「歌の力」を私だって信じている。だけど、それを誰よりも強く信じて、苦難も乗り越えて一位になるべきは千早ちゃんなんだと、そうも思う。
 でも、シングルランキングで言えば私の方がだいたい上位にいる。この番組でのランキングでも、きっとまた私の方が上になっているんだ。その理由を、千早ちゃんはわかっていないんでしょ?
 千早ちゃんの唇がきゅっと結ばれるのが見えた。私がふと思ったことをもしかしたら読み取られたかもしれない、なんて、あるはずもないことを考えてしまう。

 アイドルってなんだろう?
 同じ問いに何度もぶつかった。あのとき、プロデューサーさんが大怪我をして、散々悩んだときも。あのライブのあとも、それからも何度も同じことで悩み苦しんだ。
 だけど、いつも同じ結論に辿り着くんだ。
 アイドルは、私にとっての「夢」。それは「トップアイドル」と呼ばれるようになった今でも同じだよ。765プロの仲間たちも、他の事務所の子たちも、私からはそう見えるんだ。ライブステージに立って歌っているとき、バラエティ番組でお腹を抱えて笑っているとき、グルメレポートでうまく美味しさを表現できないとき――どんなときにもみんなが輝いて見える。私はその輝きの中にずっといたいと思う。
 光の海の中に、私はいたい。

 CMが終わる。ぱっと画面が暗くなって、薄闇にステージと天海春香というアイドルの姿がうっすらと浮かぶ。千早ちゃんはその子の姿をじっと見つめている。そこにいる人が、今、自分の膝の上でのんびりとしていることも忘れているみたい。
 ピアノのイントロが静かに流れ出す。音もなく千早ちゃんの喉が動いた。彼女の手が、私の肩をきゅっと握る。五秒ほどのイントロが終わって、春香のソロが続く。そこは少し失敗した部分だけれど、今聴いてみればそう悪くもないね。

〈私の新曲、聴いてください〉
 千早ちゃんの身体が小刻みに震える。鳥肌が首筋に見える。
 ふうと、部屋が静かになっていく。テレビの音だけを除いて。いや、ちゃんと言うなら、この世界には天海春香しか映っていない。私もテレビの中の彼女に呑み込まれていくみたい。だって、彼女は「そうしようと思ってそうしているんだから」。私はそれに気づいてしまった。

 だから、なんだよ、千早ちゃん。私たちはずっと海で泳ぎ続けてはいられないんだ。私たちはいろんな人を綺麗でまばゆい光の海に連れ出していくの。みんな、私たちに続いて海を泳ぐ。でも、だいたいみんな、ちゃんと疲れて、陸に戻っていく。私はその人たちのことを止めないし、私も疲れたら陸に上がって一息つく。
 でも、千早ちゃんだけは特別だよ。澄み切っていて、綺麗で――私が追いつけないほど真っ直ぐなんだ。千早ちゃん自身も気づいていないけれど、私は知っている。
 私はそんな千早ちゃんが好きだよ。そうじゃない千早ちゃんを想像することができないくらいに。いつまでも、今のままでいてほしい。
 だから、千早ちゃんは、私の夢の中に溺れていてほしいんだ。

 歌はサビに入る。ここから、私が詞を作ったところだ。テレビの中の彼女は、手をぎゅっと握りしめて、溢れる光の海で歌い続ける。
 千早ちゃんはもう、目にうっすらと涙を浮かべている。何を感じているんだろう。その顔からも、膝からもそれが伝わらない。私はわからなくて、そんな千早ちゃんが急に愛しくなって、気づけば彼女の腰に両手をまわしていた。細くて、ちょっと力を込めれば折れてしまいそう。それを、優しく抱きしめた。
 そんな私たちの気持ちは、テレビの中の春香はわからない。きっと、一生わからない。ただ、光の中で彼女は歌い続けるだけなんだ。

〈ねえ、ずっと一緒にいよう。あなたと、ずっと、溺れるように〉
 この曲のタイトルは「Drowning」――千早ちゃんのための、歌だよ。 

 

 

初出:2014年11月16日