創想話
 


 
 霊夢が死んだ。
 眠るように死んでいた霊夢を、紫が見つけたらしい。

 眩しく晴れた日、私は魔法の森のアリスの家で、アリスと二人、紅茶を飲んでいた。壁にかけてある白いカレンダーを見て、ふと思う。

「もう三日経ったのか」

 かちゃり、と紅茶のカップを置いたアリスが、私に尋ねた。

「三日って、いつからよ?」
「霊夢が死んでからだよ」
「そう」

 そっけなく返事をして、アリスは紅茶を一口飲む。
 アリスの家で紅茶を嗜むのはいつものことで、大体、そういうときは魔道書も借りていく。
 霊夢が死んでから私たちの生活が変わった、というわけではなかった。少なくとも、アリスは。今日も私が訪ねるまでは、人形作りをしていたからな。自律人形の完成まではまだまだ遠いらしい。
 一息ついて、アリスは思い出したように言った。

「そう言えば、この前クッキーを焼いてみたんだけど。味見ついでに食べてみない?」
「おいおい、私は毒見係か」

 皮肉ってはいるが、私はアリスのクッキーが旨いことを知っている。私は今までアリスがクッキー作りに失敗したのを見たことがない。

「まあ、せっかくだから食べてくぜ」

 堅かったアリスの表情が少し和らいだ。

「じゃあ、今持ってくるわ」

 椅子から立ち上がって、アリスは台所に入って行った。
 一人で応接間にいると、紅茶の紅さが気になった。紅茶の水面を見る。じっとを見つめていると、心臓を締め付けられるような感触を覚えて、あわてて目を逸らした。馬鹿な真似はするもんじゃないな。

 少しして、アリスがクッキーを盛った皿を持って戻ってきた。明るい茶色にこげ茶の模様がついたクッキーだ。

「今までのと少し変えてみたのよ」

 アリスはそう言いながら、椅子について、クッキーを手に取る。私もクッキーを口に運んで一口で食べる。甘さ控え目のこのクッキーは、意外と私の口に合う。

「どう、味の方は?」
「ああ、いつも通り旨いな」

 確かに旨かった。お世辞じゃない。いつも通り。何となく、このままでは勿体無い気がした。

「少し貰ってもいいか?」
「ええ、ちょっと作りすぎてたから、丁度いいわ」

 アリスはそう言って、台所から可愛らしい袋を取ってきた。クッキーを銀の箸でつまんで、袋に入れていく。人形遣いを名乗るだけあって、形を崩さずに器用に入れる。
 その手の動きを見ながら、私はぽつり呟いた。

「緑茶にも合いそうだな」

 その言葉にアリスの手が止まる。そして、少し俯いたまま動かなくなった。

「ど、どうしたんだよ?」
「あなた、まだ霊夢のことを考えていたの?」

 顔を上げたアリスの目には寂しそうな光がたたえられていた。私は訳がわからなくなった。アリスは何が言いたいんだ?私がアリスの質問に答えないうちにアリスは続けた。

「死者のことを考えていたって、虚しいだけよ。クッキーを緑茶と食べる人なんてもういない。あなたは亡霊なの?」

 やっとアリスの言いたいことを飲み込んだ。それと同時に怒りがわいてきた。亡霊ってなんだよ?
 私は一気に紅茶を飲み干した。空になったカップを乱暴に置く。

「死者のことを考えて何が悪いんだ?」

 私の怒りを無視しているのか、アリスは自分と私の紅茶のカップを片付け始めた。二つのカップと受け皿がカチャカチャと耳障りな音を立てる。

「別にそれ自体は構わないわ。いえ、そうでないといけない。でも、あなたはそれと違う」

 私はアリスに掴みかかった。アリスの手から、二つのティーセットが澄んだ音をたてて床に落ちる。時が止まったかのようだ。

「何だよ、お前」

 アリスは私に澱んだ目を向ける。止めろ、そんな目で見るな。
 アリスを壁に叩きつける。アリスは少し顔をしかめたが、何も言わない。そんなアリスが憎い。

「お前にとって、霊夢の死は泣くだけで済むもんなのか?お前にとって霊夢はそんな奴なのかよ」

 ぱちん。乾いた音が部屋に響いた。最初は何が起こったかわからなかった。思わず、アリスを離す。アリスが私の頬を引っ叩いたのだ。私は叩かれた頬を触る。
 アリスを見ると、無表情のままだった。私の目から涙が滲み出てくる。じんわりと頬の痛みが感じられる。

「やっぱり、そうなんだな」

 胸が一杯になって、我慢できない。私の口が勝手に言葉を吐き出していく。

「やっぱり、アリスにとって霊夢はそんな程度のもんだよな。私に詰め寄られても、否定できないんだろ。なあ、アリス。だってお前は妖怪だもんな。人が死ぬなんてどうでもいいことなんだ。霊夢だってさ」
「止めなさい」

 私は聞こえない振りをした。

「ただの人なんだよ。いくら強いって言っても人だもんな」
「止めなさいって」
「そうさ、私とお前は違」
「止めて!」

 アリスは悲鳴を上げた。今にも泣きそうな顔で私を睨む。私はそれに気圧されて、言葉が続けられなくなった。
 少しの沈黙。そして、アリスが小さな声で呟いた。

「もういいわ、あなたのお芝居なんて」
「芝居だって?そんなわけ」
「お芝居よ」

 アリスの息は荒い。

「うんざりよ。あなたのお人形劇なんて、見たくもないわ」

 アリスは私を突き放して、私はみっともなく尻餅をついた。アリスが泣き始めた。
 何が悲しいんだよ、お前は何も感じてないんだろ?そう言いたくても言えない。
 いらついて私は思いっきり立ち上がって言い放った。

「ああ、いいよ!アリスにはわかりっこないぜ!」

 私は玄関の扉を叩き開け、走りながら箒に飛び乗って、真っ直ぐに飛んだ。何も聞きたくない、何も見たくない。ひたすら高度を上げた。
 家を飛び出る直前にアリスが「わかってないのはあなたよ」と言っていた気がした。

 白い空を私は飛ぶ。真っ直ぐに飛ぶ。

 古びて、見慣れた神社の前に降り立った。そこに人の気配は無い。
 その神社に足を踏み入れると、不思議な匂いに包まれた。
 今、霊夢がいるような気がして、私は床の間に入った。だけど、ちゃぶ台がそこにあるだけだった。

 あれ、霊夢はいつも外を見てたっけな?そうか、私はいつも縁側から入るから、そういう記憶しかないんだ。それで、いつも面倒臭そうに、緑茶を入れてくれて。
 それも今となっては思い出に過ぎないんだよな。

 私は縁側にゆっくり腰掛けた。右手が伸びて、虚を掴む。おかしいな、と思い、右手を見て、私は苦笑いする。それから、小さくため息をついた。

「あら、不吉な黒白の魔法使いじゃない」

 突然、隙間から妖怪があらわれた。それはここの日常の光景だった。

「白黒だぜ、スキマ妖怪」
「そんなこと、私にとってはどっちも同じことよ」

 そう答えて、紫は畳の部屋から縁側に出てきた。

「珍しいな、紫が昼間に起きてなんて」
「いろいろあったから起きざるを得なかったのよ。おかげで生活習慣が乱れちゃったわ」

 語尾が欠伸に混じって伸びる。紫は眠そうな目を擦って縁側に座った。だるそうな顔で、力が全身から抜けたような紫の姿。
 何故か、私は紫に嫉妬した。青々とした桜の木を見ながら、紫はぽつりと呟いた。

「霊夢がいなくなって、ここも寂しいわね」

 嘘だ。やっぱり嫉妬してなんかない。私は自分の足を見つめる。

「今はまだ結界も持っているけど、早く次の巫女を見つけないと。魔理沙、貴方も協力して頂戴」
「嫌に決まってるだろ」

 紫は大きなため息をついた。それから、頬を手の上に乗せて、肘をもう片方の手の上に乗せた。それから、ゆっくりと私の顔を見る。紫の表情が視界の端に入った。

「どうして、貴方はこうも私の予想を裏切らないのかしら」

 退屈そうな紫の表情と口調に私はいらいらした。

「どうして、霊夢の代わりをそんなすぐに探そうって気になるんだよ」
「当然、幻想郷を守るためよ」

 当たり前でしょ、とでもいうような口調だった。私は我慢が出来なくなった。紫を睨む。それでも、紫の表情に変化はない。目に光が宿っていない。

「それがどうしたって言うんだ!もう、幻想郷に霊夢はいないんだぜ?母親代わりだったお前が、そんなにあっさり霊夢を捨てるのか?」

 なあ、紫、霊夢はお前のものじゃない。なのに、その言い方はまるで霊夢がお前のものだったみたいじゃないか。
 お前が葬式で泣いていたのは、自分のものを失ったからか?違う、それは違う。

「そうよ。所詮、あの子も私の幻想郷を守るための道具よ。力が強くって、様々な異変を解決してくれた。私はそのおかげで楽できた。ほら、これが貴方の望んだ答えでしょう?」

 私は何も言い返せなかった。代わりに、紫から目をそらし、外を見つめることに集中した。

「もう、いいわ」

 紫は立ち上がって、神社の中に入った。私は外を見ているだけだった。

「ずっと、自分の隙間に閉じこもって、いつまでもそうしてなさい」

 空の色が橙に染まり始めた。

「霊夢は、私の可愛い霊夢は、もういないのよ」

 思わず、私は紫の方を振り返った。だけど、日の光が差し込むその部屋に、紫はもういなかった。畳の間に小さな染みを残して。

 気付けば、私は博麗神社で独りだった。私以外の全ては、別のものだった。
 霊夢の葬式の時もそうだった。

 白昼の博麗神社で葬式が行われた。人間よりも妖怪が大勢やって来たので、人里から人間が来ないよう、紫は結界を張ったらしい。
 霊夢は棺の中にいる。
 白い花で包まれたその顔は穏やかで、私は霊夢が寝ているんじゃないかと思った。実は、すごく長い眠りについているだけで、葬儀中に突然ひょいと起きてきて、「あら、皆で何してるの?」と驚くんじゃないか、とも考えた。

 皆が皆、泣いている。涙を流している、嗚咽を漏らしている。亡霊の姫も、紫も、月の姫も。アリスも泣いていた。

 最後の別れをレミリアが読み上げることになっていた。棺の前に立ち、毅然とした態度で、レミリアは静かに別れの言葉を述べ始めた。

「私の愛しい博麗霊夢。正直、貴女が死ぬなんてちっとも考えていなかったわ。あんなに強いくせに、お茶が大好きな呑気巫女ですもの。長生きするに決まってるって夢見ていたわ。でも、それは所詮、夢だったのね。残念よ。

 ねえ、貴女は覚えていたかしら。私は覚えているわ。初めて本気の弾幕勝負をしたこと。
 あの時、正直言うと、悪魔の私が負けるなんて、屈辱だったわ。人間ごときに負けたってね。500年の生涯で、負けること自体初めてだったこともあって、かなり恥ずかしかった。
 でも、同時に嬉しかったわ。私たち吸血鬼は恐れられていていたのよ。貴女は、私たちを受け入れてくれた人間だから。私はそれが嬉しかったのよ。

 そう、貴女は人間、妖怪、誰構わず平等に接してくれた。人間に忌み嫌われている妖怪たちでさえもね。だから、皆が貴女を好きだった。愛していた。
 それなのに、どうして、どうして、どうしてそんな貴女が先に逝ってしまうのよ!」

 レミリアの手は震えて、読み上げる声も涙声になっていた。皆のすすり泣きが一層大きくなる。レミリアは震える声で続ける。

「でも、もう、いいの。人間はいつか死ぬものだって、私も理解しているわ。ただ、貴女との別れが初めてで、今までになく辛いだけの話。
 さあ、安心して逝きなさい。私たちはそんなに弱くないの。貴女は天国でゆっくりお茶でも飲んで待っていればいいのよ。

 色々言いたいことはまだあったけど、もう、これまでにしておくわ。さようなら、さようなら、霊夢」

 読み終えて、レミリアは崩れ落ちた。とうとう、泣き声を上げる奴まで出てきた。
 博麗神社が涙で包まれてしまったみたいだ。

 だけど、私だけはその中でぽつりと、別の空間にいるような気がした。
 何も感じない、感じられない。無意識の涙すら出てこない。ただ、冷静に皆の様子を見渡すだけだった。
 どうして泣けないんだろうな。どうして悲しくならないんだろうな。
 多分、私は人の心が欠けているんだろうな。私が親友と思っていたやつが死んでも、何も感じないんだぜ?

 なあ、霊夢。
 泣きたくても泣けないんだ、私は。

 深く、帽子をかぶりなおした。

 霊夢の亡骸は博麗神社の裏に埋められた。そこには墓標も立っている。私はその墓標の前に立っている。白い墓標は夕日を受けて、紅に染まり始めていた。
 その墓標に、私は呟いた。

「私はお前のこと、どう思ってたんだ?」

 墓石は何も言わなかった。

 不意に、緑茶が飲みたくなった。縁側から夕日の射す台所に足を運ぶ。

「邪魔するぜ」

 棚から急須と湯呑を取り出し、やかんで湯を沸かす。火は魔法で熾すので時間はかからない。すぐに湯が沸騰した。茶葉を急須に入れて湯を注ぎ、しばらくそれを見つめた。少ししてから、急須から湯呑に注いだ。湯呑が熱い。
 淹れたての緑茶を持って縁側に腰掛ける。

「いただくぜ」

 と、何となく呟いて、自分の湯呑に口をつける。熱いお茶の渋みがきつい。少し淹れ方を間違えたみたいだ。

「やっぱり、霊夢の淹れた緑茶じゃないとおいしくないな」

「当たり前でしょ。何年私がお茶を入れていると思ってるの」

 そう言って、霊夢も自分の湯呑に口をつけた。

「まあ、お茶汲みと掃除だけが仕事の巫女だからな」
「妖怪退治もやってるわ」
「つまり、暇巫女ってことだ」
「あんた程じゃないけど。って、このお茶、ちょっと渋すぎるんじゃない?」

 私は魔法の研究をしているんだぜ、とは言い返せなかった。

「桜も散っちゃって、掃除が楽になるわね」

 霊夢の目はぼんやりと遠くの青葉を見ている。その時、私はいいアイデアを思いついた気がした。

「だったら、暇になる時間が増えるだろ?」
「そうね。何がしたいのかしら?」
「そうだな、今試作中の新しい弾幕の試し撃ちに付き合ってくれ」
「また?あんた、結構、それが面倒なの知ってるでしょ。結界張らないといけないし」
「結界張るのにそんなに手間はかからないだろ。それより、今度の弾幕はパワーも正確さもアップだぜ」
「はいはい。完成したら付き合ってあげるわよ」
「本当か!じゃあ、できた時にはコテンパンにしてやるぜ?」
「できるものならやってみなさい」
「自信たっぷりだな。本当にコテンパンになったらどうする?」

 霊夢は呆れたように笑った。

「そんなの、死んでも御免よ」

 私も、ははは、と乾いた笑い声を上げて、ぬるくなったお茶をすする。

「何言ってんだ、お前はもう死んでるじゃないか」

 隣に霊夢の姿は無かった。緑茶の渋みが不味かった。

 帰るのが面倒臭くなった。

「泊まっていいか、霊夢」

 神社に虚しく響く私の声。霊夢がいるのが当たり前だと思っていた。錯覚。
 私の声が消えて、少し間をあけた。

「じゃ、泊まってくぜ」

 霊夢はこんな時、なんて言うんだろうな。「勝手に決めるな」と文句をつけるかもな。でも、文句を言いながら夕食の準備をしてくれそうな気もする。
 そんなことを考えても仕方ない、か。霊夢はもういないから、か。
 夕食はもういい。早く眠ってしまいたい。今日のことを何もかも忘れて、眠りの世界に浮かんでいたい。

 布団が入った押入れの襖に手をかける。
 その時。
 何かが足元に落ちた。何だ?

 それは封筒だった。私はそれを拾い上げて、見た。そこに「博麗 霊夢」と書いてあった。住所は書いてない。
 手紙か。それにしては変だな。どうしてこんなところにしまってあったんだ?それに、どうして住所を書いてないんだ?

 裏を見てみると、「霧雨 魔理沙様」とあった。
 私の心臓が早鐘を打つ。霊夢が、私に、手紙?
 手が自然に封を切ろうとしている。勝手に開けるな、と自分を責めても、止まらない。お、ちつけ、私、らしくないぜ。
 すまん、霊夢、開けた。

「霧雨 魔理沙

 あんたのことだから、この手紙を読んでいることでしょうね。読んでいなければそれはそれでいいとは思うけど。まあ、これは読まれなきゃ意味ない手紙なんだから、そんなことを書いてもしょうがないわね。
 本当はこんな手紙なんて書くつもりはなかったのよ。私はこういうのが好きじゃないの。
 でも、どうしてかしらね。気づいたら、手が勝手に筆をとっていた。思わず笑ってしまったわ。いいわよね。一度だけ、反則させてくれないかしら。

 私は死んだ。これは事実よ。そして、私は蘇らない。これも今の幻想郷では事実。将来、永琳が蘇生の薬を発明したら変わるかもしれないけれど、とにかく私は死んだの。
 この手紙は冥界で書いたものよ。
 正直、こんなに早く死ぬなんて思ってなかったけど、苦しまなかったは幸いね。死ぬなら、寝ている間に死にたいって夢も叶ったし。

 魔理沙、私は死を受け入れるわ。博麗の巫女が長寿なんて、誰が決めたの? 人間の一生は短いのよ。いくら力が強くてもね。妖怪に比べたらほんの一瞬に過ぎないわ。
 だから、私はこの幻想郷からいなくなる。冥界にも天界にも行かないつもり。
 もう映姫の判断も下りたし、あんたがこの手紙を読む頃には幻想郷からいなくなっているはずよ。

 ねえ、魔理沙。あんたはわかっていないかもしれないけど、私はこの手紙をあんたに書いたのよ。
 他の誰でもない、あんたよ。
 あんたのことだから私が死んでも泣いたりなんかしないでしょうね。そうね、たとえ紫や幽々子が泣いたとしても、あんたは絶対に泣かない。
 この手紙を読んでいても、今はまだ涙の欠片すら浮かばないかしら。

 ほら、悔しければ、今泣いてみなさい。

 どうしようもないでしょう?あんたはどうしようもなく、捻くれてるから泣けないのよ。それに、どうしようもなく、真っ直ぐだから泣けないのよ。
 でもね、あんたはどうしようもなく、真っ直ぐだからきっと泣いてしまうわ。

 もしかしたら、私がこうして手紙を書いているのもあんただから、かしらね。そうね、きっとそう。あなただからよ。
 どうしようもなく、捻くれて、真っ直ぐなあなただからよ。どうして私らしくないことさせてるのよ、魔理沙。

 まあ、いいわ。こんな手紙を書いているのはやっぱり反則なのよ。
 未練はあるかもしれないけど、無いかもしれない。そろそろ、行かなくちゃね。
 さようなら、魔理沙。きっと、あなたは泣いてしまうわ。

 それでも、さようなら。

                                      博麗 霊夢

 追伸

 この前、神社に本を忘れていたでしょう。まったく、人のものを借りといて忘れてどうするのよ。
 あんたらしいと言えばそうなんだけど。

 押入れの中に本を置いておいたわ。ちゃんと持って帰りなさいよ。それと、返却期日は守りなさいよ。」

 私は襖を開いた。布団の山の隣に本が一冊、置いてあった。青い表紙の本は、確か、アリスから借りたものだ。本を手に取る。
 霊夢の姿が浮かぶ。「返却期日は守りなさい」か。
 そこで初めて気付く。私の新しい弾幕は、見てもらえない。小さな約束も、もう、守れない。

 本当に、霊夢はいなくなったんだ。
 涙が本の表紙に落ちる。視界が滲んで歪む。
 本当は人の死なんて言葉にできない。

 哀しい、失って、哀しい……。

 私は帽子を深くかぶり、柱に寄りかかった。我慢しようと思っても、嗚咽が漏れた。涙が溢れた。

 違うんだ。私は何も感じてなかったわけじゃない。
 泣いたら、それだけで終わるような気がしてたんだよ。だから、私は泣けなかったのにな。
 でもさ、あの手紙を読んだら、もうどうしようもなくなったんだ。

 なあ、霊夢。
 涙を止めたくても止められないんだ、私は。

 私は帽子を上げた。紅い日の光が目に入る。眩しい。
 いつかは人は死ぬ。でも、いつかは涙も止まる。

「ありがとうな、霊夢。本はちゃんと取って行くぜ」

 持って行く、じゃなくて、取って行く、か。自分の癖に苦笑した。まあ、これからも直すつもりはないが。
 だけど、今度、アリスに借りていた本をいくつか返してやろう。紫には熱い緑茶を淹れてやろう。
 本を持ち直し、襖を閉めて、縁側から外に出た。
 紅の日だまりの中、箒にまたがって、後ろを一度だけ振り返った。
 縁側に霊夢の姿はやっぱり無かった。だけど、顔に暖かい風を受けながら、私は言った。

「これで、いいんだよな、霊夢」

 風で障子がカタカタと音を鳴らした。それだけだった。私は笑った。

 またな、霊夢。

 地面を蹴って私は空に飛び上がった。
 沈みかかった夕日に照らされた紅い空と、昇り始めた月に照らされた黒い空のコントラストが、やけに綺麗に見えた。
 静かに目を閉じて、ゆっくり瞼を上げても、黒と紅の空はずっと綺麗だった。

 ふと、私は、その空の真ん中を突っ切って、私の家に帰ろうと思った。

 
 
 


 
私は魔理沙になれない。
 

初出:2008年11月13日