前回の記事の続きです。
今回は『それでも私は雪を見る』ができるまでのお話。
今回オリジナルの話を書くにあたって、
小学生のときに描いた物語の続きを書き直す、というのが元々のきっかけでした。
でも、物語ができあがるまでどんな過程をたどったか、
今となってはあんまり覚えていません。
いつもはメモ書きだったりとか、テキストデータを残しているはずですが、
今回はそれがどこにも見当たらないのです。
確かなのは、第一稿が二月下旬にはできていながら、
推敲にとても苦労し、投稿までに約5ヶ月かかったということです。
そこで第一稿のデータを読み直してみたのですが。
これがつまらない、驚くほどつまらない。
というのも、第一稿はストーリーを書くばかりで
そこに中身がまったくありませんでした。
おそらく、当時の私の中にあったのは、
少年と少女が雪の中で手を繋ぐというシーンを描くことだけで、
それ以外のことは何も考えていなかったのでしょう。
だから、読み終わっても作者の私自身にも何も残らなかった。
今よりも全体の分量も少なく、読んでてすごく淡々としていました。
一回書き終えて、しばらくしてから見直してもその印象は変わりませんでした。
そこから推敲する、と言葉で書くとても簡単です。
でも、私はあんまりそういうことをしないタイプで、
第一稿の時点でひどければ、推敲せずにファイルをゴミ箱に捨ててしまいます。
推敲してもどうにもならないことが多いので。
そんな私が、今回はそんなスタート地点から推敲して、
なんとか投稿までこぎつけたのは、あきらめたくなかったからです。
オリジナルを書くと決めた以上、そこはやり遂げたかった。
そこで今回は推敲しながらテーマを固めるという、
私があまりとらなかった手法を使うことにしました。
いつか完成するかもわからない。
今作業やること自体に意味があるかもわからない。
そんな推敲の作業を続けながら、
それでも何を伝えたいのかということを何度も考えました。
そのうちに、私は小さい頃に書いた物語にある疑問を覚えました。
小学生の少年が駅の改札に行って女の子を見送るのは、
本当にできることなのかな、ということを。
もちろん、物理的にはできることです。
でも、私の中で、本当に彼らにその発想があるのかなと。
そんなふうに思ったのです。
特に少年は、一人で電車に乗って
どこか知らない場所へ行けるようには思えなかった。
そのとき、ようやく私の中で一つの軸ができました。
この物語は、そういう子どもの限界を知るものなんだと。
好きなことを手をつないで好きな思いを伝えても、
奇跡的な両思いであったとしても、
それは大人の都合で唐突に引き裂かれてしまう。
それが子どもの限界なんだと。
この物語の軸ができたとき、ようやく私は少年の思いを、
そして少女の思いをつかむことができたように思います。
そこでようやく、ストーリーの枠しかなかった物語に、
中身を入れていけるようになりました。
この物語ではふたりとも小学校四年生です。
第一次思春期を迎えようというタイミングで、
大人になり始める子もいる。まだ子どものままの子もいる。
その微妙な時期が、小学校四年生だと思っています。
最初に、少女である菊地まどか。
彼女は大人っぽい描写をされているし、
実際、他の女の子たちの会話には全然加わりません。
でも、そんな外見や行動と異なり、子どもっぽい本を読んでいる。
すごく単純な言葉で書いてしまえば、
彼女は大人の世界に半分以上入っていながら、
大人になりたくないと思っているのではないかと思うのです。
その抵抗の手段としての、ああいう本を選んでいるのでしょう。
次に、主人公の高山勝は物語の最初の時点では子どもです。
大人は先生と両親、それから親戚くらいのものではないでしょうか。
大人の世界は彼にとってあまり馴染みのないものでした。
でも、菊池まどかに出会い、そして彼女に許婚がいることを知り、
最後に彼女との別れを通じて彼は少し大人になります。
この二人、最初はまったく交わりがありません。
席が隣でありながらもほとんど会話なんてできない状態。
けれど、菊池まどかが読む本でやっと二人が交わっていきます。
大人になりたい高山勝はその本を通じて菊池まどかの世界へ、
菊池まどかはたどたどしくも本の感想を伝えてくれる高山勝の世界へ。
お互いが求めていた世界に足を踏み入れます。
そして、あの雪の日に二人は手をつなぐ。
でも、その次の日に菊池まどかは彼の前から姿を消します。
高山勝はそれがなぜだかわからない。
二人の思いは通じ合っていたのだと思っていたのに。
そこで、菊池まどかが残した栞が彼に答えをくれるのです。
それはとてもシンプルで、ある意味残酷なことでした。
子どもは、いつか大人になるのだと。
菊池まどかは、子どもの世界に戻りたいと思ってももう戻れない。
子どもっぽい高山勝だって、大人への一歩を踏み出したのです。
手をつないだときに彼が口にした言葉が、それをはっきりと示しています。
「ぼくたちはすぐにおとなになるんだから」
子どもはいつか大人になるもの。
高山勝もいつまでも子どものままでいられない。
それをふたりともある時点で感じるのだと思います。
手をつなぐとき、その思いを高山勝が口にする。
それは菊池まどかに確信を与えてしまう言葉でもありました。
二人の思いは交わりながら、二人は離れてしまう。
ストーリー的には菊池まどかの両親の都合です。
でも、私はやっぱり、高山勝のひとことがとても大きいと感じています。
美しい相似形の交わりではなく、ひとときだけ交わって、
あとは同じ方向へ静かに離れながら流れていく。
大人になるというのは、とても力強く、
その一方でとても残酷なことなのだと思うのです。
最後に高山勝はそのことを理解した。
だから、泣きながら外へ走り出し、それでも一人で帰っていくのです。
自分の体ではどうすることもできない現実だと理解したから。
その時、彼の世界から色が失われたのでしょう。
どうにもできない現実が目の前にあり、自分は無力だ。
これから同じように挫折を今後何度も味わっていくことになる。
きっと大人になっても、菊池まどかがそうであったように、
その現実を克服することができないこともある。
そういうことを理解したときに、彼は無限の可能性を信じていた子供から、
現実を知る大人に、もう一歩だけ近づいたのだと思います。
こういうふうに書いてきましたが、
この中身も私自身が推敲しながら見つけたものです。
そして、毎回こういう裏話を書くときにいっているのですが、
読む方によって捉え方はとても大きく変わると思っています。
私と物語の解釈が違ってもいい、というか違うと本当に面白いです。
その方自身の体験を大事にしてほしいな、とも思います。
そして、もう一回だけこの裏話が続きます。