音楽感想

音楽感想「チャイコフスキー交響曲第7番」〜初めてのクラシックコンサートでも身構えなくていい

「クラシックコンサート」と聞くと「ハードル高いな」と思っていませんか?何を隠そう、私もそう思っていました。

でも、実際に行ってみたら、身構えなくても問題ない!

いつもの自分なりに音楽を楽しめるはずです!

今回は私の初めてのクラシックコンサートの感想と、そう思った経緯を書いていきます。

※この写真はイメージです

それでは、今回の心への旅に出かけましょう!

Q:気取った服装は必要? A:気張らなくて結構。

そもそもコンサートに行ったのは、ある友人に「君の地元でクラシックコンサートがあるから、良ければ一緒に行ってみないか?」と誘われたのがきっかけでした。

クラシックコンサート!

なんて素晴らしい響き。そして遠い響き。私、クラシックコンサートになぞ一回も行ったことがないのです。もっといえば、これだけ音楽が流れる時代に置いて、何のライブにも行ったことがないのですよ! ミスチル、バンプ、YOASHOBI、米津玄師、Ado……そんな有名どころにさえ行っていないというのに、クラシック!?

私のクラシックコンサートのイメージは「タキシードを着て、右目にはオペラグラスを備え付けて、休憩時間にはペリエを飲んで、終わったらフレンチでワイングラスを片手に『今日のヴァイオリンの響きは格別でしたな。ホールに響くあの一弦の調べときたら』と顎髭を撫でながら仲間たちと語り合う」という感じですよ。わかりますよね?

しかし、私の地元の近く。東京赤坂のオシャンティな場所とはだいぶ違いますから、これも良い機会と思って行くことにしたのです。

ポロシャツとスリッポンで。うん。

「さ、クラシックコンサート、行っちゃいますか」的な?

「気を抜きすぎだろ!」と思ったそこのあなた。それ正解。

しかし、結果的にはこれでまったく問題ございませんでした。あとで色々調べてわかったのですが、自治体のホールで演奏するのも当たり前であり、そうすると地元の人たちも結構多くいるわけです。で、私の先ほどの格好は地元に馴染んでいるので、何の問題もございませんでした。

少なくとも「外に行くのにこれなら恥ずかしくない」くらいの格好で問題ございません。クラシックコンサートに行く、と身構えなくて良いです。

ぶっちゃけ、途中でうたた寝してました。

見出しにも書いた通り、私、途中でうたた寝してました。もったいないと思う? いや、私はうたた寝したっていいと思います。

それまでの仕事の疲れもあったのか、私はあんまり元気ではない状態でコンサート当日を迎えることになりました。もうね、眠気がすごかったです。顔を見れば「眠そー」と誰もが言いそうなくらい。

それでも初めてのコンサートですから、ホールに入って開演するまではとてもワクワクしていたんです。ワクワクというか、オロオロしていたかもしれません。とにかく眠気を上回るくらい、緊張していた。

そのうちにいよいよ、演奏が始まります。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲です。本当にこれが美しい調べでした。もう安心して演奏を聴いていられる。

そして、私は眠りに落ちます……ってオイオイ。

言い訳するわけではありませんが、本当に素晴らしい演奏だったんですよ。長いヴァイオリンソロも何の不安もなく聴けるほどに。だからこそ、安心して美しい調べに身を任せた瞬間、眠気が襲いかかってきたのです。

でも、よく考えてください。巷にはあるでしょう、「リラックスするクラシック曲」みたいなプレイリスト。そして、最初の曲がまさにそういう類の音調だったのです。

そうやってリラックスできる曲なのに、目をギンギンに見開いて「オレは何もかもを聴き逃すまい、見逃すまい!」とやるのもヘンというか。演奏者や指揮者ならともかく、私のように完全に「視聴者」の立場であれば、そういう曲調に身を任せるのがむしろ良い選択なのかもしれません。

ただ一つ言えるのは「さすがに眠っちゃうのは勿体無いわ……」ということですね。次回からはちゃんと睡眠時間確保してから行きます。

指揮者と演奏者の一体感はコンサートならでは

ここまでコンサートの感想何も言っていませんでした! ので、コンサートの見どころはきちんと伝えますよ!「指揮者と演奏者の一体感がすごい」ということです。

以前、「響け! ユーフォニアム!」の二次創作をやった際に、そういうコンサートの奏者や指揮者について調べたことがありました。その際に思ったのは「平気な顔して演奏や指揮をやっているけれど、その裏にはとんでもない努力と葛藤がある」ということでした。

よく考えれば当たり前なのですが、クラシックという分野では、作曲者はもう数百年前に亡くなっていて、楽譜こそ残っていても、彼らの意図を完璧に汲み取ることなんて誰にもできません。一音一音、音の高さは楽譜にあっても、その演奏の仕方を百パーセントわかるはずもないのです。

それは小説においても同じです。文字は誰が読んだって同じ文字ですが、例えば登場人物たちの声はどんなものか、風景はどのようなイメージか、暑さや寒さ、匂い……その解釈は人によっていくらでも変わってしまいます。

しかし、指揮者は「じゃあ、みんなそれぞれ思ったように演奏しようね」では許されません。奏者に対し、自分の曲の解釈を丁寧に伝え、自分の中にある音の世界のイメージを現実にすることが求められる立場です。

それには楽曲自体への理解、曲に対する自分の解釈、理想とする演奏のイメージ、そしてそれを伝えるコミュニケーション力が求められます。はっきり言って、気が狂うほど色々なことに気を配らなければなりません。

そして、全体の中のごく一部でしかない奏者ですら、並大抵の努力ではありません。指揮者と同じように、楽曲への理解、自分の解釈、理想とする演奏のイメージは必要です。そして、指揮者が求めるイメージを理解し、それを実現するための演奏の技術を磨く必要があります。

そういった指揮者、演者が数十人と集まって、さまざまな葛藤や衝突を繰り返し、私たちが聴くような素晴らしい演奏が成り立っている。

先ほど、「指揮者と演奏者の一体感がすごい」と書きましたが、そんな簡単に語れることではないはずなのです。

思い返せば、私が自分の職場でそんなふうにコミュニケーションを取れているのでしょうか? 自分達が高みを目指して葛藤や衝突を繰り返しているのでしょうか?

私がうたた寝すらしてしまった美しい演奏の背後には、想像を絶する道のりがあったに違いありません。

それを思うと、オーケストラの演奏が綺麗に聴けることは、本当に私たちには幸せなことなのだと思うのです。

とはいえ、気張らず、素直な心で素晴らしい演奏を楽しみましょう

と、色々書いてきました。でも、とにかくそんなに難しいことを考えなくてよいのです。良い音楽を「素晴らしい」と感じることができれば、それが何よりなのです。

クラシックコンサートとはいえ、堅苦しいお作法や格好は不要。外出する時のいつもの格好で行けばいいのです。素直な心で音楽を聞けばいいのです。

そうやって楽しむことができれば、日々研鑽を積むトッププロだって嬉しいのだろうと私は思うのです。

今回のココベル:クラシックコンサートでも気後れすることなかれ、良い音楽は素直に楽しもう!

そのうちに新しいコンサート、私は行ってみたいですねえ。