先週もここに書いたとおり、私はひとり暮らしを始めました。
当然自炊をするわけです。
いや、当然じゃないかもしれないけれど節約したいし、
なんとなく外食やお弁当だと栄養が偏るような気がしているので、
自炊という選択をしました。
で、自炊というか料理をして気づいたこと。
「小説を書くことは料理を作ることと全然違う」。
今日はそんなお話。
……って書いたけれど、今の文言めちゃくちゃアホっぽいですね。
「犬と猫は全然違う」と言っているような。
三歳児ってレベルじゃねえぞ!
いやいや、少し前の私はその二つが似ていると思っていたのです。
素材から完成形に持っていく過程において。
料理は色々な素材や調味料を適切な手順で調理し、
その結果おいしいものができるわけです。
あんまり良くない食材でも、調理法が適切であれば、
結構おいしいものを作れるわけですね。
逆にどんなにいい食材でも調理法が適当だと、
適当な味にしかならない。
もちろん、理想は良い食材と良い調理法を兼ね備えることです。
しかし、どちらが大事かと言えば、
私は調理法の方に重きを置いていました。
小説が似ているなと思っていた部分は、
ひとつひとつの単語とそれを組み合わせる文章、
あるいは文章をさらに組み合わせた全体のストーリーの関係性でした。
綺麗な言葉をいくら並べても、それで人の心を動かせるわけではない。
適切な方法を良く吟味して、並べていくこと。
そうすれば多少なり語句の選択がまずくても、雰囲気を作り出せる。
それが私の中で小説の肝であるように思っています。
(逆に詩はひとつの語句の重さが重視されるように思います)
……でも、全然違いました。私はなめていた。
料理の方を。
自分が料理して、料理の肝は調理法じゃないと今さらわかったのです。
もちろん、味を左右するのは調理法なのでしょう。
しかし、「一食を作る」という意味においては、
料理の肝は「時間の管理」なのだと思い知らされました。
カレーライスひとつ作るにしてもそうです。
カレールーができても、ご飯が炊けていなければ
私はカレーライスを食べることができません。
だったら、いつご飯を炊くかが重要になります。
サラダを一品添えるのなら、さあもう大パニック。
野菜はどの時点で切って水切りすれば良いのか?
カレーを煮込んでいる間だよ、と慣れたひとなら思うのでしょうが、
私はそんなこともわかっていないわけです。
カレーの前に作ってしまうかもしれないくらいのど素人です。
実際にそういう順番やタイミングの悪さを体感していると、
「そうか、料理を作るっていうのは、小説と全然違う」と痛感するのです。
小説は作るのに、まあ多少なりのタイミングはあれど、
いくらでも後から修正できますから。
同時並行で進めることもほとんどないわけですし。
でも、そうやって四苦八苦しつつ、
おいしい料理を完璧なタイミングで仕上げたとき、
なんだか無性に幸せになるあたり、
私って単純だなあと思いながら楽しくなってます。