七月に入って二週間が過ぎました。そう、もうすぐ夏休み!……まあ、私には関係ないんですけど。
夏休みといえば、忘れちゃいけないのが「読書感想文」。以前、どこかで書いたように、私は読書感想文がものすごく苦手でした。
小学生の宿題でほぼ必ず出ますよね、読書感想文。読む本は自由、原稿用紙で最低2枚の文量がノルマ。できる人はさらさらと書けるのでしょう。しかも、とても良い文章を書くのです。それで市や県の賞を取る子もいました。
でも、私はこの宿題、嫌いでした。
なぜなら、どう書けばいいのか誰も教えてくれないからです。
先生の指示は「思ったことを書きましょう」です。でも、小学生の私には「思ったことを書きましょう」という、ぶん投げフリーダムほど意味のわからないものはありません。
「思ったことって、なんなんだ?」
親に聞いても曖昧な答えしか返ってこない。しかたなく本のあらすじで原稿用紙の九割を埋め、最後の最後で「面白かったです」で書いて提出しました。
もちろん賞など取れるはずもありません。それどころか、先生から「もっと思ったことを書きましょう」と赤ペンで突っ込まれる始末。
だから、「思ったこと」ってなんなんだ!?その書き方がわからないから、あらすじで頑張って原稿用紙を埋めたんだって!
言われた通りにやったつもりなのに、そんな赤ペンを喰らい、私はすっかり読書感想文が苦手になってしまいました。その後、小学校を卒業するまで、いや、社会人になっても、とうとう誰も読書感想文の書き方を教えてくれませんでした。
今もこのブログで何かの感想を書くことに苦手意識はあります。でも、このブログを(ほぼ)毎週更新と(勝手に)決めた以上、何かしらネタを拾って書くことを続けてきました。
うまく書けたこともあります。ダメなこともあります。そんなふうに続けていると、個人的にうまく書けたと思う感想から、あることを見つけました。
結論からいうと、この3つです。
1.読んでいて何に心を動かされたのか
2.なぜそれに心を動かされたのか
3.そこから自分がどう変わるのか
最近は、この3つを意識して書くようにしているので、以前ほど感想文への苦手意識はなくなってきたかな、思います。
せっかくなので、小学生の私に教えるつもりで「自分が後悔しない読書感想文の書き方」を書いていきます。
今回は、過去の私が下手な感想文を書いてしまった『ルドルフとイッパイアッテナ』という作品を例に挙げていこうと思います。
……
まず「1.読んでいて何に心を動かされたのか」。これは簡単です。
「面白かった」「感動した」「泣いた」「怖かった」といった、自分の感情が動いたところをピックアップするだけです。
もちろん長い作品では色々な場面で色々な感情が起こりますが、書くのが大変なので、私は一番印象に残った場面ひとつだけをピックアップしています。
『ルドルフとイッパイアッテナ』なら、私が一番好きな部分は、主人公のネコ「ルドルフ」が文字を覚えた優越感に浸り、近所のネコ「ブッチー」の目の前で彼をけなす単語を書きつける流れです。
ブッチーは文字を読めないので単語の意味がわからず、ルドルフに対して怒ることもありませんでした。ルドルフはそれがおかしくてさらに調子に乗ってしまうのですが、その後、文字の先生であり先輩のネコ「イッパイアッテナ」にひどく怒られます。
「できないやつを馬鹿にするなんて最低のねこだ、教養のするねこのやるこっちゃねえ」と。
……
さて、次の「2.なぜそれに心を動かされたのか」。
これがうまく書けたか否かを分ける大事な点だと思います。要するに自分の感情の根拠やメカニズムを見つめ直して、それを言葉にするということです。
でも、これが一番難しい!
私は自分の感情のメカニズムなんて全然見えていません。わかっていたら生きるのはどんなに楽なことか。そこで私は自分にこう問いかけるようにしています。
「自分の過去に似たような体験があるはずだ」と。
あくまでこれは私の持論ですが、自分の過去の体験と何かが重なり合うからこそ、フィクションの世界でもその場面に心が動くのだと思うのです。
そして、自身の体験と繋げることで、書いている感想文は自分オリジナルのものになります。自分のものだからこそ、その感想文に対して私は後悔しない。だから「うまく書けた」と私が感じるのです。
『ルドルフとイッパイアッテナ』の例に戻ると、先ほどの場面は、もちろん私の体験と重なります。
幼児から親が教育してくれたおかげで、私は小学生のときからひとつ上の学年のレベルの勉強ができました。みんなが九九を覚えている間に、私は二桁の掛け算をしていました。だからテストも満点連発で、みんなから頭もいいと言われ、自分が天才だと思っていた時期もあります。
そんなうぬぼれの自分に、さっきのイッパイアッテナのセリフです。
「できないやつを馬鹿にするなんて最低」。
叱られているルドルフがまるで自分のことのように思えて、ルドルフと一緒に私もしゅん……となっていました。
私はルドルフのように友達をけなして笑ったことはありません。でも、心のどこかにそう思う自分がいるかもしれない。ルドルフは生意気だけど、自分もそんな彼と同じじゃないか。そんなふうに、先程の場面が印象残ったのです。
……
ここまで自分のことがわかれば、あとは楽です。
「3.そこから自分がどう変わるのか」は自ずと出てきます。
印象に残った理由を解き明かせば、自分のものの考え方が見えます。それが自分の価値観と照らし合わせて、好ましいものかそれとも嫌なものなのか、直感的にわかります。
好ましいものならもっと伸ばせばいいし、嫌なものなら少しでも変えるようにしたい。
そんなふうにして文を書けば完成です。
私の例は簡単です。自分が天才だと思って友達をけなすのは、もちろんよくありません。それに勉強ができなくても、人にはそれぞれいいところがあります。運動ができる人もいるし面白いことをする人もいる。
私は「勉強ができるか」だけを判断せず、色んな人のそれぞれのいいところを見つけるようにしたいと思います。
……
ざっと書きましたが、大まかな私の書き方はこうです。日によってうまくいかないこともありますが、以前よりは自分で後悔しない感想を書けるようになったと思います。
一方で、それが良いレビューかというとたぶん違います。作品について語るより自分について語る方が多いので、人に作品を勧めるにはあまり向きません。それに先生からいい評価が得られるわけでもないと思います。
いい評価を得る感想文は、ノーベル文学賞レベルに文章がうまくて、ノーベル平和賞レベルに立派で世界貢献に繋がること必須です。……それは冗談としても、自分を見つめ直せば先程の「2」みたいに自分の嫌な部分が現れることもあります。それをバカ正直に先生に提出したら何かとまずいでしょう?
でも、感想文としてはこんな書き方が私は好きです。
感想はあくまで感想。自分語りでいいのです。何かを人に売り込むのとは違います。自分が思ったことを書く。
おとなになって振り返ってみて、感想文に苦手意識を持ってしまったことをもったいなく思うのです。書き方さえ学んでいれば、小学生当時の思いが残るとても貴重なものになったでしょう。自分を振り返るときの楽しみにもなったでしょう。
あとから自分が読み返して満足するだけだから、うまい文章も必要ないし立派な思考も必要ない。考えたことを素直に書くのが気持ちいいのではないでしょうか。
私は少なくともそうです。