映画感想

映画感想「竜とそばかすの姫」〜父親の描き方に帰結しない見方

2022年10月現在の細田守監督の最新作「竜とそばかすの姫」、Twitterでよくこんな言説を見るのです。

「あの映画って、父親がすべての原因だろ」

……いやいや、それはこの映画の本質を誤解している! と私は強く言いたい。

そこで、今回は映画「竜とそばかすの姫」での諸悪の根源は細田守監督の家族観である、という言説を否定しながら、私なりの映画の感想と見方をご紹介します。

それでは、今回の心の旅に出かけましょう!

今回の記事の概略

  • 「竜とそばかすの姫」は父親と子どもの話ではなく、若者の自己実現が主軸にある
  • 竜と鈴の違いは父親ではなく、非情な現実に立ち向かう姿勢
  • ただし、ストーリー構成がカオスすぎるのもあり、そう誤解されるのもやむをえないかも

あの映画は、若者たちの自己実現の物語だ

私が「竜とそばかすの姫」を一言をまとめるなら、「青春真っ只中にある悩める若者たちの自己実現の物語である」です。

もちろん、主人公の鈴が一番わかりやすいのですが、主要な登場人物の多くがその軸に沿っています。

  • ヒロちゃんは鈴のプロデュースで大きな成果を出している(全額チャリティーに入れているのはさすが)
  • カミシンはインターハイ出場という夢を成し遂げ、かつ学校のアイドルに恋心を抱かれる
  • ルカちゃんはカミシンへの想いを伝えて、彼と一歩近づくことができた
  • 竜はバーチャル世界で戦うことで”何か”を実現しようとする

しのぶくんは後述。

物語の舞台の半分がバーチャル世界の「U」なので見落としがちですが、カミシンとルカちゃんは「U」に深く関わりません。彼らはリアルの世界で自己実現を果たしています。

この3人はバーチャル世界にほとんど関わらないですね。

一方で鈴や竜はつらい現実から逃げるようにバーチャル世界に入り、そこで自己実現ができました。いや、竜はバーチャル世界でもかなり苦しい思いをしましたが、そうなるだろうという予感のある終わり方です。

よくバーチャル世界で「新しい私を始める」的な物語の場合、「そうはいっても自分はどこまでいっても自分なんだよ」という説教くさいことが挟まりがちなのですが、この物語はそうではないところが素晴らしいな、と思いました。

大事なのはバーチャル世界ではなく、仮面の使い分け

さて、バーチャルな世界に飛び込むとき、どこかで「今までの自分をリセットできる」という思いが少なからずあるのではないでしょうか? 私もリアルな姿を隠して発信する身なので少しわかります。別にリアルの生活がダメではなくとも「新しい自分が始まる」という予感があります。

「いやいや、バーチャル世界だからといって、結局自分は自分でしょう」と思われる方もいるかもしれません。その通りではあるのですが、同時にバーチャル世界の「リスタート」を否定するつもりもありません。

実際、私もバーチャルな世界で新しい人と出会い、そういう人とリアルで付き合うこともあります。リアルではできない話をすることもしばしば。しかし、同時にバーチャルな世界で出会った人にリアルのすべてを話したりもしません。

つまり、私たちはリアルとバーチャルで仮面を使い分けているのです。そして、これはリアルとバーチャルという区分だけでなく、リアル世界の中だけにもあることだと思います。学校で見せている自分、職場で見せている自分、家族といる時の自分、近所付き合いをしている時の自分。リアルな世界でもいくつもの仮面を付け替えている人は多いでしょう。

そう、だからこの映画の冒頭と最後のナレーションは、実はバーチャルな世界だけの話ではないのです。

さあ、もう一人のあなたを生きよう。さあ、新しい人生を始めよう。さあ、世界を変えよう。

「竜とそばかすの姫」冒頭とラストのナレーション

私たちだって、新しいスタートを切ることができるのです。

なぜ鈴はうまくいって、竜はうまくいかなかったのか?

「うまくいった」という表現が良いのかはわかりませんが、多くの人に支持されるか否か、といったニュアンスでしょうか。

鈴は「ベル」という名前で多くの人から歌が支持されました。まさに「歌姫」です。一方の竜は、戦いが強いもののダーティーな戦い方から、多くの人に嫌われる結果となってしまいました。

どうして二人はこれだけ違ってしまったのでしょうか? ラストの場面でヒントが示されています。

「僕も立ち向かわなきゃいけないって思った。だから、戦うよ」

「竜とそばかすの姫」竜のセリフ

このセリフを裏返すと、それまで竜は戦っていなかったということです。その「戦う」とはバーチャルな世界でのバトルではなく、非情な現実と戦うというニュアンスです。

確かに竜の中の人は、ひどい父親から暴力を受けても「耐える」だけでした。耐え続ければいつかなんとかなると思っていたのかもしれません。実際、それまでどんな大人たちと触れ合ってきたのかはわかりませんが、彼自身が戦うことを選択しなかった。

彼が変わるきっかけが鈴だったということですね。

鈴も途中まで竜と同じでした。つまり、非情な現実には触れず、バーチャルな世界でだけ成功しようとしたところ。しかし、竜のお陰で、クライマックスのシーンでリアルな自分を見せる決心をして、現実に立ち向かう決意を示しました。だから、最後にリアルな世界でも歌を歌うことができるようになった。

父親の描き方は、あまり関係ない

さて、この映画でよく言われるのは「細田守監督の家族の描き方」です。今回なら「最後の父親の描き方に明らかに悪意がある」というところでしょうか。でも、私はその点はあまり関係ないと考えています。

確かに家族との関係は良好な方が良い。しかし、鈴がこの物語で自己実現を成すにあたり、父親はマイナスでもなく、プラスにも働いていません。鈴は自分の父親とほとんど話をしなかったのですから。

鈴が自己実現を成した大きな要因は、友だちのヒロちゃん、しのぶくん、そして竜の三人だと私は思っています。彼らがいなければ、父親が暴力的でなくとも、鈴はずっと現実に立ち向かえないままだったと思います。

後ろの地元のおばちゃんたちの力もある。

今回の家族の描き方は「非情な現実」を示す舞台装置のひとつであって、テーマを支える柱の中でかなり細い方だと考えています。いかんせん、見る人たちには「家族」が大きな割合を占めるから悪目立ちするのでしょう。でも、違うよ、そこはそんなに考える必要がないんだよ、と私は思います。

この映画の大きな欠点

とはいえ、非情な現実を見せるために「家族」を選んでしまったこと自体は、少し問題だと思います。もちろん毒親の問題もありますが、多くの人が着地点を誤る恐れがあるので。

また、この映画、最初に見て思ったのは「構成がグダグダ」ということでした。「未来のミライ」はあっちこっちいっててカオスではありつつ、大きな構成は真っ当だったと思います。でも今作は大きな構成もカオスでした。

この映画にはクライマックスが2回あります。一つは鈴がUの世界でリアルな姿を晒して歌うシーン。もう一つは、リアル世界で竜と出会うシーン。どちらも大事なシーンなのですが、ストーリー展開的には後者をもっと盛り上げて欲しかった

今回、前者の方で歌や涙や群衆の団結など、いわゆる感動要素を使い切ってしまい、バランスが悪かったと思います。観ていた私は1回目のクライマックスで燃え尽きているので、2回目のクライマックスに集中できなくなっていました。

サマーウォーズはリアルな世界とバーチャルな世界のそれぞれのクライマックスを上手に描いていたのに、今回そうではなかったのはもったいない。

また、自己実現がテーマであるのに、大事なしのぶくんがほぼ何も関わっていないのも痛い。彼は最初からすべてを持っている人物なので、自己実現もへったくれもあったものではない。鈴を助けるだけのキャラクターになっている気がして、そこも残念でした。確かに鈴を導いてほしいけど、お助けが過ぎる気がする。

結論:テーマは面白いけど、構成をパリッとさせて欲しかった

さて、私の総評。見出しの通り「テーマは面白いけど、構成をもっとパリッとさせて欲しかった」です。

テーマは「青春、悩める高校生たちの成長物語」という点で瑞々しくていいはずなんですよ。いいはずなのに、ストーリー構成がモヤモヤしていて、全体的に鮮やかな色合いを感じることがなかったです。

青春物語で言えば、確かに「時をかける少女」でやった部分もあるけれど、今回は主題も違うから、そのテイストをとり入れても良かったように思います。細田守監督が脚本を手がけ始めたあたりから、という声はよく聞きますが、確かにそれがあまり良くない方向で影響したと私も思いました。

でも、バトルの演出だったり、バーチャル世界とリアルな世界の描き分けという点は、間違いなく細田守監督でなければできない部分でもあるし、そういう点はとても好きです。

作品作りって難しい。こういう期待される作品なら尚更。そういう意味で内容的には今までの細田守監督作品の詰め合わせ的な部分があるのですが、まだそれは早いんじゃないか!?と思います。

まだまだ尖れるでしょう!

私は次回作に期待いたします。

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