映画感想

映画感想「ONE PIECE FILM Z」〜ワンピース海軍における正義とは?

今回の記事は、映画「ONE PIECE FILM Z」の感想です。世界で腐っていると思われがちな「海軍」を考えるきっかけになる、ワンピースシリーズの中でも異色の映画です。手がかりになればと思います。

この映画のポイント

  1. 海軍のあり方を見つめ直した、シリーズの中でも異色の映画
  2. ルフィとゼファー、二人の相反する信念
  3. この映画の終わりがとても切ないのはなぜか? 二人に共通する信念

海軍のあり方を見つめ直した、シリーズの中でも異色の映画

ワンピースの海軍を知っていますか。主人公ルフィ達と敵対する組織なので、正義の味方のはずなのについ悪者に見えてしまいますよね。まあ、実際、漫画の序盤では本当に腐った海軍が出てきます。例えば 自分の管轄地区で圧政を敷いたり、海賊と手を組んで金の受給をしたりする者もいました。ですので、海軍イコール腐った組織とように見えるかもしれません。

しかし、そんな海軍のあり方を見つめ直した映画がこの「ONE PIECE FILM Z」なのです。

ゼファーの面白いところは悪役として登場していながら、独自の正義を持っていることを描いているところです。彼はすべての海賊を滅ぼすことを目的としていますが、海賊と対立している海軍のことも許さないと豪語します。

例えば「お前は海賊の割には骨がある。軟弱な海軍よりマシだ。」というセリフ。彼は海賊を許さないと言っているにもかかわらず、海軍よりマシだと言っちゃっているんですよね。あるいは、ゼファーもルフィの力量を最初から見抜いている節もあり、彼なりに何らかの基準があるようです。

ゼファーが麦わら帽子を見つめるシーン
この麦わら帽子にも思うところがありそうです。

それはルフィにしても同じことです。ルフィも初見からゼファーの力量を見抜いているようでした。また、元海軍の映画のボスで、先日感想を書いた「デッドエンドの冒険」のガスパーデとの比較も面白いです。ガスパーデは始終ルフィから「クズ」扱いされる、今となっては清々しいくらいの悪役でした。しかし、ゼファーについてはルフィが悪口を言うことはなく、最後の戦いが終わっても、スッキリした顔で会話しているくらいです。

つまり、初対面の時点で二人がお互いの力量と信念をある程度見抜いているのです。それが今までのワンピース映画になかったパターンだと思います。

さて、そんな二人のそれぞれの信念とは何でしょうか?

ルフィとゼファー、二人のそれぞれの信念

ゼファーの信念については「正義」がひとつの答えになるかと思います。しかし、それは我々が考えるレベルのふわふわした、単純な善と悪の対立で語られる正義ではありません。実際、彼からはこんなセリフが出てきています。

「正義とか自由とか、お前らすべてやり直しだァ!」

つまり、我々やモブ海軍が語る正義は彼の考える正義ではないのです。

そして劇中でガープが語る通り、ゼファーは現役時代はとても立派な海軍であり、何度も海賊に家族や大切な仲間を奪われても、なお正義を信じて戦い続けた男でした。

しかし、そんな彼が絶望するきっかけになったのは、他でもない海軍の決定だったというわけです。ですので、海賊を滅ぼすだけでなく、海賊を庇った海軍も全部やり直さない限り、本当の平和は訪れない。それが彼の論理です。

実際、彼は劇中で複数の島を破壊し、一般人にも大きな被害が出ています。しかし、彼が目指したのはあくまで「真の平和」であり、支配ではありません。一般人に被害が出ても、小さな犠牲と考えたのでしょう。さらに言うと「小さな犠牲」には彼自身も含まれます。冒頭から最後まで、彼は自分の保身というものを一切考えておらず、自爆覚悟で目的を達成しようとしていました。

しかし、それは同時に抑圧的でもありました。確かに真の平和は大事ですが、自由に生きようとする者たちを踏み躙ってまで達成すべきものなのでしょうか?

それに応えるのがルフィの信念です。彼はゼファーが嫌う海賊であり、そして自身が無法者であることを自覚しています。海賊時代が始まって以来、色々な人たちが海賊によって傷ついていることをルフィも理解しています。

その上で、彼はゼファーに立ち向かいます。彼自身の口からはその理由が明確に語られることはありませんが(帽子を取り戻すというのはあくまでストーリー上のギミックだと考えています)、彼らが船を止めたドックの親父が語ってくれます。

「Zは自由を奪ってしまっている」

原作中でも何度も「この世で一番自由な奴が海賊王だ」と口にするルフィですが、この映画においても同じ信念で動いていることがわかります。また、ゼファーとのタイマンに勝った時も、こんなセリフを口にします。

「お前の命なんて要らねェ、もう気ィ済んだ!」

原作と同じように、ルフィは自由に生きたいという思いが強く、ゼファーの信念を打ち砕いた時点で、それ以上のことは必要ない。他を抑圧してまでも達成する平和は、真の平和ではない。そう捉えて良いかと思います。

実際のところ、未だ原作でもルフィの夢の果てはワンピースの正体と同じくらい謎に包まれていますが、こうした信念と少なからず関係があると考えて良いです。

この映画の終わりがとても切ないのはなぜか? 二人に共通する信念

さて、そんな二人の信念を見てきて、この映画の最後がなぜ切ないのかを考えてみましょう。

前述したように、最初から最後までルフィとゼファーはお互いの何かを認め合っているのです。ゼファーが誰も傷つかない世界を求めて息の詰まるような抑圧をするのに対し、ルフィが自由を求めて立ち向かう。その部分は対立しているとはいえ、逆に双方に共通するものもあるはずなのです。

最初にこの映画を見た時から感じたのが「男」という部分でした。最後に青キジが言います。

「男が自分の人生に一本筋を通したんだ。かっこいいじゃねえか!」

この映画における青キジはいちいちかっこいい!

なるほど。しかし、二人に共通する一本筋とは何でしょうか? 筋を通すだけだったら、今までルフィと敵対した者たちも筋は通していました。先ほどのガスパーデ然り。しかし、二人がお互いのことを認めているのだから、共鳴する何かであるはずです。

最近までそれが何かわからず、この映画が公開されてからずっと時間が経っても感想をなかなか書けませんでした。しかし、原作ワンピースの方でそれらしいことをルフィが言ってくれて、やっと理解できそうな気がします。

カイドウに「お前が一体どんな世界を作れる!?」と問われた際、ルフィはこのように答えました。

「友達が……!  腹いっぱい! メシを食える世界!」

そう、これってゼファーが子どもの頃目指した正義の味方の理想像に近いと思いませんか? 弱いものを助け、誰も傷つかないようにする世界。

思えば、ゼファーも何度も海賊に大切なものを奪われましたが、それでもなお海軍を辞めることはありませんでした。おそらく力あるものが弱いものを普通に傷つけるだけでは、彼は絶望しなかったのです。しかし、弱いものを助けるはずの海軍が人々を傷つける海賊を匿った(七武海加入させた)ことにより、本当に絶望してしまった。

海軍は一本筋を通していなかった。それはゼファーが一本筋を通すのと真逆です。だから、ゼファーは海軍を辞めてしまった。しかし、その結果ネオ海軍となって、海賊を滅ぼすことにこだわりすぎるあまりに、弱いものを虐げることになったのは皮肉です。

ルフィは海賊といえども、弱いものを傷つけることはせず、彼の思う夢の果てに向かって一本筋を通していきます。それがゼファーの、彼自身の信念が歪む前の姿と重なって見えたのでしょう。だから、彼は最後に海軍に終われるルフィを助け、ルフィも最後の最後で理想に向かってもう一歩踏み出そうとしたゼファーを見送る。

単にゼファーがその命を燃やし尽くす以上に、戦友を見送るという意味でこのラストは切ないのでしょう。二人に共通する信念がある、ということがそれまでに察せられるからこそ、です。


さて、こんな形で私の「ONE PIECE FILM Z」の感想を終えようと思います。最初にも述べた通り、この映画はワンピースシリーズの中でも「海軍」にスポットを当てた異色の作品です。そして、ボスであるゼファーも「男」としてルフィと共通点もある魅力的なキャラクターでした。

これから原作ワンピースも佳境を迎える中で、「海軍」とは何かの理解を深めるためにも、この映画を観ることをお勧めいたします!