いきなりですが、ぶっちゃけます。
今までSSなり小説なりブログ記事を書いている身なのですが、
私は「読書感想文」を書くのが苦手です、今も。
小さい頃から読書はむしろ好きです。
でも、読んだ本の感想を書くのが下手でした。
だから小学校の毎年の夏休み、読書感想文は嫌いでした。
どう書けばいいのかとにかくわからなかったのです。
あんまり困ったものだから、最低文量の九割をあらすじで埋めて
最後の一文で「面白かったです」と書いて始末しました。
まあ、読書感想文の話はまた別の機会に書きましょう。
なら、どうして一見関係ない話をしたかというと、
今回見た映画がここ最近の中ではぶっちぎりに
感想を文字にするのが難しい作品だったからです。
二週間以上前、『リズと青い鳥』というアニメ映画を観てきました。
これは『響け!ユーフォニアム』という小説が原作で、
テレビアニメ化もされたシリーズの映画版です。
でも、私は原作小説もテレビアニメもどちらも未見の状態でした。
そんな私が、友人のすすめで、
映画の予告編や公式サイトすらチェックすることなく、
いきなり映画を見に行きました。行きましたとも。
で、感想を語ることができないまましばらく時間が経ちました。
いっそのこと書かなきゃいいかとも思ったのですが、
むしろこの苦悩こそが、この映画の感想と繋がる部分がある。
そう思い直して今回の感想を書き連ねています。
一度、下書きであらすじも書いたのですが、載せるのはやめました。
この物語世界は言葉で語れるものではないんです、たぶん。
とにかく肌で感じてほしいので、まず映画を観に行っていただきたい。
…………
まず、この映画が始まった瞬間から
手を触れることのできない緊張のある空気が、
私をあっという間に包んだように感じました。
女の子が女の子を好きになる、ということも、
高校三年生の夏、進路を決める時期というのも、
女子高生という特殊ないきものというのも、
音楽というのも、そう。
ひとつひとつの要素自体が繊細で壊れやすいもので、
さらにそれらをまとめる構成の糸も、細く弱いもののように見えました。
そして、それぞれが糸の端っこを引っ張っている。
そんなギリギリの空気が、この映画の世界の背景でした。
それは音楽や淡い背景や、人物の線にも現れている。
だから、私はこの映画が始まった瞬間から息を詰めて観ていました。
この映画が終わったあとも、しばらくその緊張感は消えませんでした。
もちろん、映画館を出るときに思うことは色々ありました。
でも、夜更けの街を歩きながら、
この映画の感想を簡単に口にしたりツイッターに書き込むことが、
私にはできませんでした。
私には吹奏楽の知識もなければ、音楽の声を聴くこともできません。
みぞれや希美という二人の女の子が何を思っているかもわからないし、
この映画の監督の意図だってわからない。
そんな私が何かを語ることは、
この映画の世界観を壊すのではないかとすら思っていました。
二週間近く、言葉を紡ぐことはできませんでした。
でも、頭の片隅にはあの映画のことがあって、
思うことをなんとか形にしたいと悩んでもいました。
そうして時間が経ち、私は「希美」のことを軸にして
自分が思ったことを書き連ねるくらいなら、
少しは許されるのではないかと、ようやく考えるようになりました。
この映画で何よりも私がつらいと感じて、
そして同時に胸を打たれたのは、彼女の決意ですから。
みぞれが「自分が青い鳥である」ことを認識したあと、
あのオーボエのソロで羽ばたき始めたとき、希美は静かに涙を流します。
私には、彼女の中のなにか細いものが音もなく折れたように見えました。
同時に、希美は一気に自分のことを理解したのだと思うのです。
フルートのエースと呼ばれていたはずの自分。
みぞれを引っ張っていたはずの自分。
でも、そんな自分はみぞれほど特別なのではない、と。
どうやってもみぞれに追いつくことはできない、と。
自分は特別ではない、普通の女の子で、
でも特別でありたかったから、みぞれに嫉妬して見栄を張る。
自分にはそういう弱さがあったんだ、と。
希美がそう思ったのではないかと考えると、
身勝手ながら、自分を希美と重ね合わせて見てしまうのです。
希美が音楽であるなら、私はものを書くことについて。
私も過去に東方プロジェクトの二次創作SSを書いていました。
そして、それなりに多くの人にあることだと思いますが、
「自分が他の人よりうまく書ける」と思う時期がありました。
自分にしかできない表現、ストーリー展開、世界観の解釈。
そんなものを自分が持っていると思っていました。
あまり多く評価をもらえなくても「自分の作品は芸術だから」で
負け惜しみ的な考えをしていた部分もありました。
でも、ときどき世の中にはホンモノが現れるものです。
しかも、ただウケ狙いだけではなくて、自分と同じ方向性で、
背中も見えないくらい先に行っているような、そんな人。
そんな人の作品がみんなにすごく評価されるんです。
私は「自分が評価されないのは仕方ない」と逃げることもできません。
妬み、自己卑下、他者を傷つける。
そうやって自分を騙していたのに、
ホンモノの人が明確にそれをごまかしだと見せつけてくるのです。
そして、ようやっと私は気づきます。
「ああ、自分は特別な人間ではないんだ」と。
そこで私は、今まで見えていなかった、
いや、見ようとしていなかった「普通」の世界を、
断片的にでも見たように思いました。
希美が強いな、と思うのは
自分が「普通」であることを受け入れながらも、
いまだに心のどこかにみぞれへの嫉妬を宿している、
そんな弱さがあることを、自身が自覚していることです。
ここまでだったら、私はすんなり感想を書くことができました。
希美について延々言葉を連ねるだけです。
でも、そうできなかった原因は、みぞれでした。
希美がそうやって自分のことを認識し直したのに、
私の目には、みぞれが希美の強さに、まだ気づいていない。
こんな緊張感があるまま、この映画は終わります。
だから、本当に感想を書くことが難しかったのです。
……感想を書くことだってこんなに難しかった。
だったら、その二次創作を書くなんてもっと無理。
でも、映画を観終わって苦しんでいる翌週には、
私はこの映画にもっと深くはまり込むことになります。
なんやかんやあって、
私はこの作品の二次創作を書くと宣言してしまいました。
酒の勢いもありました。深夜テンションもありました。
しかしなんだってそんな宣言をしてしまったのか。
自分でぶちまけながらそのときには何の構想もありませんでした。
でも、この感想を書こうと苦しんでいるうち、
希美の強さ以外にもあることに気づきました。
「この映画自体が、『響け!ユーフォニアム』の二次創作じゃないか。
なら、その二次創作をすることに深く悩まなくてもいいのではないか」と。
二次創作を軽んじているわけではありません。
むしろ二次創作は原作の「見方」を広げる貴重なものだと思っています。
『リズと青い鳥』も間違いなく原作とは違う視点で描かれています。
山田尚子監督がどう思ってこの映画を作ったか正確にはわかりません。
でも私には、女子高生二人の特別な世界を描きたかったのではないか、
そんなふうに思えるのです。
誤解を恐れずに言えば、
音楽のことや将来のこと、「リズと青い鳥」の絵本さえテーマではなく、
それらはみぞれと希美の二人を描くための調味料でしかない。
背景が儚く描かれているのも、登場人物たちの影響が限定的なのも、
すべてがみぞれと希美の関係に焦点を当てるためだとすら思えました。
きっと山田尚子監督は原作を読んだときにそんな世界を見たのでしょう。
だから、その世界をこの映画で思い切り描ききったのだと思っています。
そして、この映画が公開されて多くの目の人に触れたとき、
それぞれの鑑賞者はそれぞれ異なる思いを抱いて観ていると思うのです。
山田監督が原作を見て何か思いを抱いたように。
今まで書いてきたように、私には私の見方がありました。
女子高生の、この時期にしかない空気。
希美という女の子が特別ではない自分を受け入れるまで。
みぞれが特別でありながら、希美という女の子にすべてを委ねること。
そして、それがとても美しくて、危うくて、破滅的にすら見えること。
だったら私が書くことは、私が感じた空気についてだろうなと、
今はそんなことを思っています。
私には特別な才能があるわけではありませんが、
希美がそうであったように、私は「普通」なりに書こうと思うのです。
いつ頃公開できるかはわかりませんが、
特別ではない私なりの話になったらいいなと思っています。