今回は、映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」の感想です。
いやあ、久しぶりに観終わって、どっと心地よい疲れが「襲いかかってくる」映画でした。2時間という長さに、色々な要素を詰め込みながら、綺麗にまとまって、とても満足しました。

ヴェネツィアの光と影、美しさと恐ろしさと
ヴェネツィアといえば、実は私も行ったことがあります。まさに新婚旅行で。この映画主演の二人も最近結婚してるし、この物語の後半も結婚式が絡むし、奇妙な縁を感じますねえ。まあ、それはさておき。

ヴェネツィアといえば、やはりなんといってもあの美しい街並みです。私もその通りだと思います。でも、それはパリのような、整然として清潔な美しさとは別のものです。
歩いてまず思うのが、道が狭いということ。そして、まっすぐな道はほとんどありません。曲がりくねっていて、Googleマップ無しではとても目的地に辿り着ける気がしません。道が狭いということは、建物の感覚も狭いので、実は日陰も多いんですよね。しかし、開けた側に出ると、空と海の青さ、建物の壁の白さも相まってとても明るい印象を受けます。
この光と影の強いコントラストがヴェネツィア独特の風景です。露伴が創作欲を掻き立てられるのは自分も共感します。
また、サブタイトルになっている懺悔室。私はこれもバチカンで見たことがありますが、あれは何というか……ぶっちゃけると怖いです。暗くて狭い空間に二人きりですからね、普通に考えて異様な雰囲気になるに決まっています。でも、バチカンに置かれたものは、まだ周囲が開けた空間なので、外に出た時の安心感はあります。
しかし、この映画の懺悔室は、置かれた場所も暗くて狭いので、もうホラーですよ。ここらへん、荒木先生の描くダークな雰囲気を体現したかのような印象でした。
しょーもない遊びを壮大に、これがジョジョッ!(錯覚)
荒木先生の名前が出たので、この映画のジョジョらしさの極みについて触れましょう。観た人なら100パーセントわかる、命を賭けたポップコーン投げ。……文字にするとやっぱり言いたくなりますよね。「なんだよ、ポップコーンで命賭けって!」 まあ、流れは映画を観ていただければわかるとして。

ジョジョらしいな、と思うのは、「ポップコーン投げ」というしょーもない遊びが、命を賭けた瞬間にまるで別物の頭脳戦だと錯覚してしまう部分ですね。しかも、人間と運命の戦いという壮大なテーマも提示されることで、世界との戦いみたいな壮大さまで感じちゃうところ。
確かに、計3回投げる中で、絶対ヤバい!という状況が訪れても、挑む人物がとっさの機転を利かせてその危機を乗り越えるあたり、頭脳戦だったり人間の意地を感じさせてくれます。単なる運ゲーではないあたりに、壮大さの錯覚を深めてくれる面白さがあります。
で、「岸辺露伴」で「しょーもない遊び」で「3回」で「運命」というと、ジョジョ好きな人なら一発でアレが浮かびますよね? そう、じゃんけん小僧。間違いなくセルフオマージュしていると思います。でも、単なる焼き直しではないところに、作り手の妙を感じますね。
たとえ「運命」に負けたとしても
さて、この物語のテーマについても少し触れましょう。ありきたりですが、最後に露伴が口にしたような「人間の意志」の讃歌だと私は思いました。
先のポップコーン投げも然り、結婚式を成就させることも然り。この物語では「最高の幸せを得た瞬間、最大の絶望が訪れる」という理不尽とも言える運命に対し、登場人物がどのように立ち向かうかが描写されています。(ポップコーン投げに至る過程は自業自得感もありますけど)
「運命」対「意志」は色々な物語で描かれるテーマであり、多くのエンタメでは「意志」が勝利するという結末になると思います。しかし、この映画ではどうとも取れるような終わり方になっています。あとで述べるように、ストーリーは非常に綺麗にまとまっているのですが、テーマの受け取り方は人それぞれ、というような節が見られます。ある人物は運命に負けたように見えるし、ある人物は運命に打ち勝ったように見える。なので、実はこの物語においてはその勝敗自体に重きを置いていない、と私は考えます。
それこそ、運命は人によって本当に様々です。残念ながら、どう足掻いてもある運命から逃れられないこともあります。しかし、そこで歩みを止めてしまったら、それこそ本当に運命のなすがままです。流されるままに生きることが、果たして人間の生き方と言えるでしょうか? 何度折れたとしても、それでも運命に立ち向かっていく、それこそが私たちが絶対的に、何の干渉もなく選べるものなのだと思います。それを理解している人間は尊いと、露伴が最後に口にしたセリフは、そんな意味合いを内包したものなのだと思います。
原作とは違う完成度の高さに「強度」をみた
さて、先にテーマについて触れましたが、この物語のストーリー構成とキャラクターたちについても言及しましょう。この物語が荒木先生の雰囲気と違う部分があるとすれば、泉くんの存在ととても綺麗な伏線回収でしょう。

別に悪くいうつもりではなく、荒木先生は、若干設定や伏線を投げっぱなしにするところがあり、それがある種作品の味になっています。もともと週刊連載という状況ですし、荒木先生自身「これ、どうやって敵に勝てばいいんだ!?」と、まさに自分自身で作った運命に自分で立ち向かうという、一人SMプレイを楽しんでいる節があります。
それに対して、この映画はほとんどの伏線が綺麗に回収されており、回収しなかった謎はあえて観客に解釈を任せる、ということがわかりやすく提示されています。エンタメとして破綻なくまとまっているところは、荒木先生と違う方向でまとめていることの象徴だと思います。
また、そもそも泉くんの存在からして、原作とは異なっていますね。しかし、彼女の存在がこの物語のエンタメ部分をよく引き締めていると感じます。露伴が懺悔室で聞く話や、引き起こされる事件は暗くて重いのですが、泉くんとロレンツォのコンビが良いタイミングでコミカルに緊張を緩和させてくれるんですね。しかし、単に緊張を緩和させるだけでなく、物語を動かす役割も持っており、ほとんど無駄なシーンがないというまとまりっぷりです。
荒木先生の原作をリスペクトしながら、実写かつ映画という違うフォーマットに対して、あえて違うまとめ方をしており、かつそれ自体が十分な完成度を誇るというのは、まさに職人芸だと感じました。いやあ、ここまで綺麗にまとまっている作品はかなりレアなのではないでしょうか?
まとめ
以上、映画の感想になります。

制作者たちのコメントにもありましたが、「ヴェネツィアでなければ生まれなかっただろう」作品であることは、観終わって納得できました。光と影のコントラスト、運命と意志、そしてジョジョらしさ。それぞれ非常に際立った要素を、巧みなストーリー構成でまとめあげたことに感服です。