「ゴジラがアニメ映画になる!」
こう聞くだけで卒倒する人もいるかもしれないなあと思いつつ、
私も相当びっくりしていました、今回の映画。
しかも、脚本がまさかの虚淵さん。
こう言っちゃあなんですが、見え透いた地雷原のように思えたのです。
が、たまたまの月曜日の振休を利用していってみました、『GODZILLA 怪獣惑星』。
これが予想外に面白いチャレンジだと思い、感想を書いた次第です。
さて、想像してみてください。
あなたは今東京スカイツリータワーの前にいる。
ええと、東京じゃない人は、自身が見たことのある一番大きいビルで。
それを改めて見上げてみると、高さも幅も意外と大きいと感じるでしょう。
さらにその上には真っ青な空があります。鳥の鳴き声が聞こえます。
あなたの首は痛いけれど、その空の大きさに比べたら、
今の自分の悩みが小さなものに思えてくるのではないでしょうか。
(思えない? そうですか……)
ゴジラもそれと同じです。(暴論)
ゴジラの圧倒的な存在を目の前にしたとき、
そこに最大の危機が迫っていながら、
人は自身がどんな存在であるか、見つめ直すのかもしれません。
それが今回の話の軸だと感じました
庵野版『シン・ゴジラ』は、仕事としてゴジラに立ち向かうドライさがありました。
それは現代を舞台にしたリアリティがあってこその描き方。
一方で今回のアニメ版は相当未来の話が舞台であり、
はっきり言ってリアリティのかけらも存在しません。
しかし、だからこそ人間自身の存在を振り返るにはふさわしい。
ゴジラに地球を支配され、人間は宇宙に逃げ出した。
でも、宇宙船という限定された空間、限られた食料・物資。
徐々に人間たちは思いやりという心を忘れていく……。
それらに対して主人公ハルオは
「ゴジラに立ち向かい、人間の尊厳を取り戻す」と強く宣言します。
反発する人たちは最初はいても、みんなその言葉に強く賛同して、
ゴジラとの絶望的にも見える戦いに向かっていくわけです。
そんな言葉をハルオが使うとき、ゴジラはひとつの破壊の象徴となります。
創造神の逆、アンチ神。破壊神です。
壊される側の人間は、壊されるものの価値を考えざるをえないのです。
すばらしい。まるでGODZILLAが「GOD」であるかのようだ!(うまくない)
人間とは何かという大きなテーマを描くアプローチと感じました。
一方でそんな宣言をしたハルオ自身、
そんなことはどうでもいいと感じている節があるように思います。
既視感があると思ったら、「進撃の巨人」のエレンです。
彼らは敵である対象を憎むことで確固たる強さを得ています。
同時にその敵が失われたときにどうなるんだろうと、
物語全体を通じて私たちに危うさを感じさせてくれる。
これは人間の尊厳とは別の意味で、パーソナルなテーマとなってくるでしょう。
そんなことを感じながら映画館を出ました。
最後、思いっきり次回予告を見せつけられて「やってくれたな虚淵ィ!」でしたけど。
しかし、思い返せば今回は導入編だからエンタメ寄りにしただけで、
次回以降は上記のテーマが、あるいは別の人間ドラマが入ってくるだろうと
今からそんな予感がしています。
もちろん、ゴジラが最終的な敵として残り続けるのでしょうが、
少なくとも今回のようなエンタメ一筋ではなくなるはずです。
うーん、ドライなゴジラもいいけど、
こういう感じで描かれるウェットな感じも好きです!
恐ろしい!