最近、ツイッターでにわかに話題になっている「鋼の錬金術師」。
私も見ました!……アニメで。
しかもまだ最初の四話だけです。
ということで、今回はその途中ながら感じたことを徒然。
あの作品はちまたではダークファンタジーと呼ばれているようで、
確かに小さいときアニメをチラ見した瞬間、
えげつないシーンが映った記憶があります。
当時はそんな雰囲気が怖くて、継続して見るには精神力が足りませんでした。
しかし、ある程度歳をとった今、改めて見ると好きな雰囲気どんぴしゃです。
少年漫画的バトルも熱いのですが、その背後に流れる雰囲気がね。
まず、エルリック兄弟の旅立ちに至るまでの設定から。
母親を失った悲しみ、取り戻そうとしてむしろ大きな代償を支払わされる。
けれど、その失ったものを取り戻そうと兄弟は決意する。
これだけならかっこいい少年漫画なのですが、
そのあとの「戻らない決意として家を燃やした」というところ。
これが一線を画しているようで、好き。
兄弟は間違いなく固い信頼で繋がれています。
でも、二人とも安心して帰る場所がない。というより、自分で壊した。
決意の代償に安心感を自ら奪う。
この乾き具合。十五歳前後とは思えません。
そして、その乾きは彼らが会う人々にも向けられます。
それこそ最初のエピソードで太陽神を崇拝するロゼ。
エドたちは結果的に悪徳司祭の野望を砕くのですが、
その悪徳司祭にロゼは寄り縋っていました。
寄り縋るものを壊された彼女は「何に縋ればいいの!?」とエドに叫びます。
対するエドの答えは「立って歩け。立派な脚があるじゃないか」。
かっこいい。かっこいいんですけれど……乾いています。
やっぱり十五歳前後とは思えない言葉です。
アルはロゼにフォローを入れているのですが、
それすらアルの中にある達観したものが透けて見えます。
フォローできるということは兄の乾きを理解して初めてできることだから。
そして、なにより「等価交換の法則」に二人が縛られているところ。
「何かを手にするためには何かを犠牲にしなければならない、そう思って『いた』」的な言葉がアルのモノローグで何度か出てきます。
つまり、どこかでその考え方が変わるという予告がされているわけです。
彼ら二人の乾いた考えの源泉が「等価交換の法則」だけれど、
それが変わる=壊される瞬間がやがてやってくる。
そのとき、二人は自分たちのよりどころをどうするのでしょう?
それはこの物語全体にガラスのような危うさがあることを暗示しているようで、
見ている私はこれから毎話どきどきさせられることでしょう。
「鋼」の錬金術師なのに。(うまくない)
連載初期のワンピースもそうなのですが、
面白い漫画の背後には、ストーリーや設定だけでない
独特の雰囲気を感じるんだなあと、あらためてそう感じたのでした。