今回はアニメ『王様ランキング』の感想記事です。優しい物語のはずが、どうして悲劇にもなりえたのか? を理解するいい物語だと思います。
この物語の感想でよく見かけるのが「主要な登場人物が、みんなそれぞれの優しさに溢れている」というものです。そして、まさにその感想の通りだと思います。
それが一番わかりやすいのは、主人公ボッジの義母であるヒリングの振る舞いでしょう。血縁関係はアニメを見ていただくとして、ヒリングにもダイダという血のつながった息子がおり、その子も次の王候補となっています。しかも、ろう者であるボッジと違い、ダイダは特に目立った身体障害はなく、剣術の腕も立つ男の子です。普通に考えれば、彼女は実の息子であるダイダを溺愛し、ボッジを毛嫌いするでしょう。実際、当初では彼女がそんなふうに振る舞っています。
しかし、ボッジが大怪我を負ったとき、彼女はボッジを精一杯魔法で治療し、治療が終わったときに、ボッジが愛おしくてしかたないという表情をするのです。これには正直びっくりしました。そして、彼女とボッジの出会い、二人が絆を結ぶまでの経緯が描かれて……という感じ。もちろん、彼女はダイダも愛しているのですが、それと同じくらいボッジも愛していることがよくわかる一幕です。
この物語、中盤からかなり色々な人が傷つく展開となり、絵柄の割にハードな描写が多いです。しかし、そうした悲しい展開となった元凶の人物ですら、最後には純粋な愛が根元にあることが明かされる。ラスボスでありながら、憎むことができない。主要人物の誰もがそんな描かれ方をしている作品です。
と、ここで感想が終わるわけないじゃないですか。誰もが優しい世界で終わるんだったら、そもそも悲しみなんて生まれないんですよ!(何にキレているんだ?) 先ほど書いた通り、この物語はハードな展開があり、その元凶が愛ゆえ、優しさゆえなのです。で、この優しさの範囲が今回の悲劇の大元だと私は感じました。
先ほど書いたヒリング。確かに優しいんですよ、ボッジに。しかし、それ以外の人たちにはヒステリックママにしか見えないんです、率直に言って。優しさの表現の仕方が下手というか、見せる範囲を狭めすぎて誤解を生んでしまっている。そういう優しさの範囲のすれ違いがほとんどの登場人物に起こっていることも感じられます。
その優しさをほんのわずかに外に広げてあげたら、こんな悲しい展開にはならなかったのに、と思わずにはいられません。もちろん、そう思うからこそ各キャラクターへの愛しさが湧いてくるのですが。そうして、最後にはそういうすれ違いをボッジやダイダたちがすべて繋ぎ合わせて、大団円を迎えるというのはさすがでした。これぞカタルシスというやつです。
以前、この小説の感想でも書きましたが、人を傷つけるのは必ずしも悪意とは限りません。相手が好きだからこそ、一歩引いてしまったり、自分が情けなくて心無い言葉を吐いてしまうこともある。この『王様ランキング』もそういう側面が多分にあると思います。みんな、優しいんです。それは疑いようがない。でも、あんな悲しい事件が起きる。本当、優しさって難しい。
だからといって、優しさを否定することはありません。この物語のように、少しその範囲を変えたり、ボタンのかけ違いを解消すれば、色々なことが繋がって大団円を迎えることもあると思います。
だからこそ、相手との対話だったり、相手を知ることは大事なんですよね。リアルの生活ではそんなことを大事にしていきたい。
物語的には……こういうすれ違いを作ると、いいね! と、なかなか残酷なことを言って、この記事を終えます!