徒然アニメ録『ポプテピピック』~パロディもまたオリジナル
みなさん、アニメ「ポプテピピック」ってご存じですか?
ご存じですか。
ポプテピピックって、クソだよねー!
はい、そんな暴言を吐きながら、
実はあれは芸術なのでは?と疑問を投げかける回。
ポプテピピックがクソと呼ばれる由縁は、
ポプ子やピピ美の破天荒かつ暴力的な振る舞いもあるのですが、
(なんでクソサブカル女を敵視するんだ……)
パロディのしまくりという部分でしょう。
ゲームやアニメのパロディに始まり、
芸能人だったりニコニコ動画のはやりだったり、
果てにはディズニーのパロディをやってのけるという。
あまりにもパロディが多すぎて、
オリジナルの部分があるのかすらあやしいときも。
そんなパロディっぷりを楽しむ反面、
普通に考えたら「こんなんでいいの?」という疑問もあるでしょう。
確かに、オリジナルの話を考えて書くことも大事です。
パロディよりもオリジナルの方が価値があると見る向きもあるでしょう。だから、パクりだったりトレースだったり、
同じパターンの使い回しは批判されることもあるわけです。
でも、本当にパロディがオリジナルよりも劣っているのでしょうか?
パロディだって名作と呼ばれるものは、
過去の歴史にもたくさんあります。
たとえば次の絵。見たことある人が多いのでは。
ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』です。
真ん中のヴィーナス、とても官能的ですね。
この髪が風にながれて柔らかく揺れているのも魅力的。
それに、あるワンシーンなのに、
風の流れが見えるという面白さもあります。
これ、名作なのですが、
元々の話はギリシャ神話にあります。
切り落とされた局部が落ちたときにできた海の泡から、
彼女が生まれたという、アレですね。
この絵がそのエピソードを基にしている以上、
ボッティチェリによる二次創作といっても間違いではないと思います。
だからといって、
「これはパロディや! クソ美術だよねー!」と
批判されることはありません。
確かにエピソード自体はボッティチェリ自身のものではありませんが、
それを絵にするということ、そして描くための技術や技法、
どんな視点で描くか、ということは、
ボッティチェリ自身のオリジナルの部分です。
ボッティチェリの中では、ストーリーを知ったとき、
彼の中にある別のものと化学反応を起こしたのでしょう。
その化合物を表現して、あの絵になったということですね。
なぜ彼女は貝殻の上にいながら陸まで流れ着いたのか?
どうしてこんなにヴィーナスがふくよかなのか?
それはストーリーの上に載ってくる新しい価値。
だからこの絵画はストーリーとしてのヴィーナス誕生ではない、
別の何かを感じられるものなのです。
元ネタがあるからこの絵はオリジナルに劣るわけではない。
元ネタがあって、その上に新しいものを載せるから、
それもまたオリジナリティになる、ということです。
つまり――おわかりですね?
ポプテピピックもパロディばかりですが、
その組み合わせで笑いに昇華させているわけです。
しかも、ポプテピピックの一部ではなく、
ほとんどがパロディ、まるでモザイク画のよう。
それは新しい価値、つまり……
「オリジナリティ」!
つまりポプテピピックは……
芸術!
Q.E.D.
でも、ポプテピピックってクソだよねー!(もう最終回なのに……)